命名権の導入によって、1972年札幌冬季オリンピックの競技施設から「五輪マーク」が取り外された真駒内の例に触れたのは本コラムの16話だった。先日、北海道出張のついでに真駒内へ足を延ばしてみた。 地下鉄南北線の南端、真駒内駅から歩くこと20分。札幌オリンピックで開会式、スピードスケートが行われた会場、現在の《真駒内セキスイハイムスタジアム》が見えてくる。建物正面に回ると、外玄関の入口上部には、きっとここに五輪マークがあったとみられる支柱だけが残され、五輪は館内ロビーの壁面にかけられてあった。お色直しがされた形跡もあるが、やはりこの場所では輝きも鈍い。40年近くも来館者を出迎えてきた五輪にご苦労さまと心の中で小さく呟き外に出る。さっきまで舞っていた雪もやみ、雲間から差し込む陽光に気を取り直し付近を散策する。 さて、長野の「五輪マーク」のほうはその後どうなったろうか? 98年長野冬季オリンピックの余剰金(約47億)からなる《長野オリンピック基金》が2010年3月に解散。その助成を得ていたオリンピック施設の運営資金を新たに調達するため、長野市もいよいよ命名権の導入かと報じられた。もし国際オリンピック委員会IOCあるいは日本オリンピック委員会JOCのスポンサーとは別の企業が命名権を購入した場合、真駒内の施設同様、五輪マークがはずされる懸念があった。 ところで、五輪マークがたとえ降ろされる事態となったとしても、オリンピック開催地としての誇りを喚起するシンボルが継承される可能性が別途あった。 《長野オリンピック基金》の助成により始まったいくつかのイベントの名称には「オリンピック記念」の冠がしっかりと刻まれているのだ。《長野オリンピック記念長野マラソン大会》《長野オリンピック記念国際アイスホッケー大会長野カップ》《Nagano Olympic Memorial長野灯明まつり》といった具合に。 夢基金が終わる5年後、財源の頼みとなる企業スポンサーさがしが難航するおそれがある。「オリンピック」という冠が大会名に付いているゆえ、イベントスポンサーの選考をめぐってはIOC/JOCスポンサーの権利保護上の制約が伴うに違いない。スポンサー候補の業種などに制限がありそうだ。
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