「今日こそ国民挙げて大なる決心を以て立つに最好の機会である」
 これは1923年に起こった関東大震災の直後、雑誌『柔道』に掲載された嘉納治五郎の巻頭言「災いを転じて福とせよ」の一文である。
 「この度の災害の為には、深き同情を表し、死者は厚く弔い、罹災者は或は救護し、或は慰問して各自その業を尽くすことは勿論」であるが、子どもの教育と同じように、「国民も万事が順調に進んで、艱苦をなめる機会が少なければ、自然と精神が弛緩し、懶惰(らいだ)にもなれば奢侈(しゃし)にもなり、遂に融和を欠き、紛争をかもすようになる。わが国は、明治維新以後、国内に於ても外国に対しても、多少の問題はなかったとはいえないが、大体からいえば順調に進み、西洋の文化を輸入してこれを咀嚼(そしゃく)することができ、内には制度を改め、教育を普及し産業を興し、海外と貿易して大いに国富を増進せしめ」てきた。それがために、国内至る所に油断、奢侈、自己中心主義の風が広がりつつあったと指摘している。

 「既往のこと(大震災)も、これを顧み、将来の参考には供さなければならぬが、我らのなすべき事は、将来のためでなければならぬ」
 ではどのようにするべきなのか。
 「我が国民が将来に於て理想とすべきは、自他共栄を国内及び対外の方針として国力を充実するにあらねばならぬ」、そうすることで「世界列国からは親愛され、尊敬され、信頼されるような国になるということである。今後わが国民は、わが国をかくの如き位置に進めようというのが理想でなければならぬ」。

 そのためには個々人はどのようにしたら良いのか。
 「己の生活を立てる途を考え、それに差し支えがなければ、自己発展のためと同時に他の個人のため、社会のため、国家のため、人類のため、即ち一言にていえば他のために何をどうするがよいかということを考慮し、その最善と信ずることを遂行するのが当然とるべき途である。さすれば、己が最善と信ずることをするのであるから、それより良い途がありようはない。自分が一番良いと信じていることをしている以上は、不快を感じ不安を感ずる必要はない。必ず満足してそのことに当たることができる訳である。又一番良いことをしている以上は、前途に光明を見いだすことができる訳である。そうすれば、生き生きとした精神状態でそのことに当たることができる」。

 嘉納は、個人にあっても、国家にあっても、自国や自身のためのみの行動ではなく、他に尽くす生き方へ転換することを主張した。前年の1922年、嘉納は講道館文化会を設立し、「精力善用」「自他共栄」の考え、つまり、他者に尽くしてこそ自己完成がなされ、それにより社会や国を発展させられるとの綱領を発表していた。

 「外国人の中には、我が国はこういう災害にあったら必ず混乱状態に陥るであろうと予想していた向きもあったようだが、実際冷静に、この災厄を乗り越しつつある模様を見て、さすが日本人だ、既往の修養が然らしむるのであろうと、賞嘆している」。
 嘉納はこのようすに、日本人は大震災を乗り越え、復興することはできると確信していた。しかしながら、嘉納の提唱した自他共栄の道をその後の日本は歩まず、やがて第二次世界大戦へと突入してしまうのであった。

 今回の東日本大震災は、1923年の関東大震災の規模をしのぐ災害となったが、約40の国際機関と130を越える国や地域から援助の手が寄せられている。初めて国外に救助隊を出す国も多い。イタリアでは今年を「日本との親交・連帯の年」に決め、国内すべての学校で日本について学ぶ日を設けることになった。有名ミュージシャンと世界の大手音楽会社は協力してチャリティーアルバム「Songs for Japan」を発売、世界のスポーツ界での支援もますます広がりを見せている。支援と連帯の輪も、未曾有の規模になりつつある。大災害と大支援を契機に、今こそ世界の人々と自他共栄の考えを普遍化していくことが、日本人のわれわれに求められているように思われる。

真田 久
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