「希望学」という新しい学問をご存じだろうか。東京大学の玄田有史教授らが2005年から提唱しているもので、希望が社会に生まれる条件を探ろうという研究だ。遅まきながら私も今年の正月に掲載された新聞記事でその概要を知り、強い興味を抱いた。希望学にスポーツとの親和性を直感したからだ。

 しかし、希望とはそもそも何なのか? 曖昧模糊とした将来に対する人の気持ちや願いを、学問にすることなどできるのか? そう感じる人も少なくないだろう。
 玄田先生の近著『希望のつくり方』(岩波新書)によれば、「このままの状態が続いてほしい」と維持や継続を求める“幸福”や、将来が確実であることが欠かせない条件である“安心”とは違う。現状を未来に向かって変化させたいと願い、これを模索していく途上で抱く“希望”には常に不安や不確実性がつきまとう。だが、困難が連続する社会の中で生き抜くために人がどうしても求めてしまうもの、それが希望だ。
 国内外の研究者と意見を交わしながら玄田先生らが定義した希望とは――
Hope is a wish for something to come true by action.
 「wish(気持ち)」「something(何か)」「come true(実現)」「action(行動)」という4本柱から成り立っており、希望が持てないのはそのいずれかが失われた状況だからだという。

 現代は希望が失われた社会などとよく言われるが、玄田先生たちの研究グループが自らの定義をもとに全国の20〜50代を対象に行ったアンケート調査でもそれが裏付けられている。「希望がない」もしくは「希望はあるが実現しそうにない」と感じている人が3人に1人いるのだ。もちろん「希望がない=不幸」というわけではないが、希望がないと回答した人のうち現在幸福だと思っている人は73.8%だったのに対し、希望がある人は84.2%が幸福だと答えている。将来に希望を持たない人より持つ人の方が、今を幸福と感じている確率が高いようだ。

 では、どうしたら希望が持てるのだろうか。
 1つのカギになりそうなのが人間関係である。『希望のつくり方』によれば、友だちが少ないと答えた人より多いと答えた人の方が20%ほど実現見通しのある希望を持つ人が多く、他者との関わりを多く持つ人ほど希望を持ちやすいという。また、日本人は希望を仕事に求める人が多いのが特徴だが、仕事について実現見通しのある希望を持っている人ほど職場を離れた友人や知人が多い。いつも会うわけではないが、緩やかな信頼関係でつながった仲間が、自分が想像もしないヒントをもたらしてくれるのだそうだ。
 希望とは対極にある挫折体験も重要なカギになる。仕事上で何らかの失敗や挫折を経験しそれを乗り越えたという自負を持つ人ほど、現在希望を持って仕事をしている人の割合が高く、「人生にムダなことなど1つもない」と積み重ねた努力が無に帰すことも厭わない人の方が、年齢や収入に関係なく希望を生んでいく。

 本を読み進むにつれて、スポーツに関わる多くの人が思うのではないだろうか。「それならスポーツじゃん!」と。
 個人競技であれ団体競技であれ、他の誰かと競うスポーツはチームの仲間、ライバル、指導者、家族、応援者……と常に多くの人との関わりを持つ。趣味で楽しむスポーツであっても、1つの目標に向かって力を合わせようとする仲間との絆は、希望学云々に限らず、生きていくうえで大きな支えになる。
 スポーツでは常に勝ち負けを繰り返すので、成功の翌日に苦い挫折を経験することも日常茶飯事。少々の失敗で凹んでいたら選手を続けることなど不可能だ。今日の失敗に少しだけ落ち込んだ後、反省し軌道修正し明日の勝利につなげていく。そうやって乗り越えて強くなる。そのためには、一見ムダに見える練習に対しても労を惜しまない。
 また、スポーツがいいところは「次の大会では何位以内を目指したい」「将来はこんな選手になってオリンピックで金メダルを取りたい」……と、自分の目標(希望?)をイメージしやすいことだろう。ときに厳しい現実を突きつけられて希望を軌道修正せざるをえないこともあるが、それもまた人生における大事なレッスン。こうした過程を繰り返すことで心身ともに鍛えられて人として成長し、一般社会においても力強く生きていける。
 スポーツは希望のつくり方を学び実践するうえで、とても有効な手段だと私は思う。

 3月11日に発生した東日本大震災は東北地方に未曾有の被害をもたらし、大切な人や財産を一瞬にして奪い去った。精神的にも経済的にも大きな痛手を被った人たちが生きる力を取り戻すには、まず希望の再生が不可欠だ。すでに様々な形でスポーツ界の支援の輪は広がっているが、義援金が生活再建の助けになるのなら、スポーツは心の再建に役立てるはず。スポーツが人々の希望の創出にどう貢献できるのか。今回の震災を機に、そんなことも考えていきたい。


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