春眠、暁を覚えず—-。寝覚めが良くないのは春に限ったことではないが、この日ばかりは違った。日本時間4月11日の朝。男子ゴルフ今季メジャー第1戦のマスターズ・トーナメント最終日。石川遼選手の結果もさることながら、今回はそれ以上に気になる存在がいた。日本人のアマチュアプレーヤーで初のマスターズ出場を果たした松山英樹選手だ。
 その松山選手はトータル1アンダー、アマチュアとしては驚きの27位でフィニッシュ。もっとも活躍したアマチュアプレーヤーに贈られるベストアマチュアに選ばれ、表彰式の雄姿が世界中に発信されたのだ。

 一気に眠気を吹き飛ばすビッグニュースを届けてくれた松山選手は現在、東北福祉大学に通う2年生。石川選手とは同い年の19歳で、二人はジュニア時代にしのぎを削った。中学時代最後となる2007年3月の全国中学選手権大会では優勝争いを演じ、このときは石川選手に軍配。しかし、いずれも日本ゴルフ界の将来を担う期待の星として注目を浴びてきた。
 とりわけ松山選手のほうは、2008年1月に史上最年少(16歳3カ月24日)でプロ入りした石川選手の活躍を意識せずにはいられなかっただろう。マスターズ出場を決めた昨年10月10日のアジア・アマチュア選手権では、「高校時代は遼くんに負けたくないという気持ちがあった。でも、いまや彼は賞金王。負けたくない気持ちに変わりはないが、その前に自分にはやることがある」と率直な思いを明かしている。

 そして乗り込んだ夢の大舞台、オーガスタ・インターナショナル・ゴルフクラブ。アマチュアで唯一、予選を通過し決勝へ駒を進めると、迎えた第3ラウンドでは18位タイにつける大健闘をみせた。世界の強豪と肩を並べた、まさに怒とうの4日間。最終ラウンド直後の公式インタビューでは、「マスターズでプレーできて本当にうれしく思う」と安堵と緊張が入り混じる、なんとも初々しい表情で語った。そして、「日本は今、大変な状況だが、勇気を与えるプレーができたんじゃないかと思う」という言葉が、日本で起きた惨劇を知る世界中の人々に“TOHOKU”を印象づけた。

彼の通う東北福祉大学も今回の大地震で被災した。大会前には大学側に「こんなときに不謹慎だ」とマスターズ出場辞退を求めるメールなどが届き、同大学ゴルフ部の阿部靖彦監督をはじめ関係者は厳しい決断を迫られたという。選手本人は、さぞ胸を痛めたことだろう。
だが逆境のなかで渡米した松山選手の活躍は本人が言うように、被災地の人々に勇気を与えたはずだ。マスターズに出場した日本人初のアマチュアプレーヤーという快挙もさることながら、ただ出るだけでなく見事な成績を挙げ、しかもベストアマチュアという、かつてはあのジャック・ニクラウスも手にした栄誉をさずかったのだ。

この週は国内でも、被災地仙台を本拠地とするプロ野球チーム・東北楽天ゴールデンイーグルスが開幕戦で勝利を挙げ、その熱い戦いぶりが東北の人々に元気をもたらした。性別や年齢を問わず愛好家が多いゴルフもまた、野球と並び人々の共感と感動を得たスポーツだろう。松山選手がまだ19歳のアマチュアプレーヤーであることも意味深い。

 13日に帰国した松山選手は被災地へ戻り、ボランティア活動にあたるという。東北福祉大学ではボランティア会を立ち上げ、被災した人々の心と体のケアにあたっているのだ。世界中が注目する華々しい舞台と未曾有の震災という、まったく相反する経験を同時期にした彼が、今後どのような価値観を持つアスリートに成長していくのか。じっくりと見守っていきたい。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター

2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。

2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、

2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。

競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面からオリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。

日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。

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