古代ギリシャでは、オリンピアのみならず、ほかの地でも大きな競技祭があった。デルフィ、イストモス、そしてネメアの地で行われた競技祭は、オリンピア祭とともに四大競技祭とよばれ、全ギリシャはもちろん、黒海沿岸やアフリカ北部からもアスリートが集まってきた。これらの競技祭の優勝者には、野生の葉冠(ようかん)のみが主催者から与えられたことから、神聖競技会とよばれていた。 さて、ネメア競技祭は次のような経緯で1996年に復興されたのである。 競技場の発掘が1974年からアメリカのカリフォルニア大学により行われ、1992年に終了した際、発掘に携わった関係者とネメアの住民とが話し合い、記念としてネメア競技祭を開催することが決められた。ネメア競技復興協会が1995年に設立され、カリフォルニア大学とギリシャ政府が支援して1996年に第一回復興競技祭が開催された。以後4年ごとに行われるようになり、2012年には第5回ネメア競技祭が行われる予定である。 この競技祭の復興の理念がなかなかおもしろい。それは、誰でもが参加でき、商業化の影響を排した大会ということだ。これは発掘に関わったカリフォルニア大学のミラー教授の主張による。彼によれば、今日のオリンピック競技会は高度化、商業化したことにより、古代の競技祭からかけ離れてしまったので、原点に立ち返る競技祭を示そうというものだ。競技場ではスピーカーなどによるコールも一切ない。祭典の進行はすべて人の声と笛の音による。 一方、発掘の成果を生かしつつ、古代の風習をなるべく取り入れて、次のような手順で競走(89mで古代の短距離走の半分の長さ)が行われる。 ・古代と同じ満月の日に行う ・開会宣言が行われ、聖火が灯火される ・選手は古代の更衣室に入り、靴を脱ぎ、キトーンという古代人の衣装を着て走る ・黒い衣装を着たヘラノディカイ(審判官)の前で不正行為を行わない旨の宣誓を行う ・笛の演奏と布告官の呼び出しを受けてスタートラインに向かう(12人1組) ・古代のスタート台の後ろに立ち、スタート装置のひもが下に落ちてからスタートする ・勝者はその印として赤い鉢巻きを頭につける ・すべての競技終了後に勝者に野生のセロリの葉冠が授与される この競技祭についての宣伝はさほど行われないので、20カ国ほどの国から1000人を越えたくらいの参加である。年齢層は幅広く、4歳から90歳代までの人が年齢別に走る。競技の2日目には、オリーブの木の植樹が行われた後、歌、舞踊、演奏などの文化プログラムも行われる。 筆者も競走に参加したが、きれいな山並みに向かって、古代の競技場を裸足で走るのは何とも爽快である。オリンピックとは違う、より原始的な古代の競技祭を味わうには、うってつけの競技祭であろう。
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