古代ギリシャでは、オリンピアのみならず、ほかの地でも大きな競技祭があった。デルフィ、イストモス、そしてネメアの地で行われた競技祭は、オリンピア祭とともに四大競技祭とよばれ、全ギリシャはもちろん、黒海沿岸やアフリカ北部からもアスリートが集まってきた。これらの競技祭の優勝者には、野生の葉冠(ようかん)のみが主催者から与えられたことから、神聖競技会とよばれていた。
 オリンピアの競技祭は1896年に復興されて、古代よりも大規模に展開されている。
 実は、ネメア競技祭も復興されて4年に一度の祭典が行われている。ネメアは、ギリシャのペロポネソス半島の北中部に位置する。ここでの祭神はオリンピアと同様、ゼウスであるが、葉冠はオリーブではなく、セロリの葉である。その理由は、ヘラクレスのライオン退治の伝説に由来する。ヘラクレスはネメアでライオンを退治するため、ライオンを洞窟に追い込んで中に入り、苦心して射止めて出てきた時、洞窟に生えていたセロリがヘラクレスの身体に巻きついていたのであった。セロリは勇者の証しとなり、競技祭が行われた折に、セロリの葉冠を授与することになった、というものである。
 古代のネメア競技祭は紀元前573年から行われ、オリンピアとほぼ同じ、競走、五種競技(短距離走、槍投げ、円盤投げ、幅跳び、レスリングの複合)、格闘技(ボクシング、レスリング、パンクラチオン)、戦車競走などのほか、笛、歌などの音楽競技も行われた。

 さて、ネメア競技祭は次のような経緯で1996年に復興されたのである。

 競技場の発掘が1974年からアメリカのカリフォルニア大学により行われ、1992年に終了した際、発掘に携わった関係者とネメアの住民とが話し合い、記念としてネメア競技祭を開催することが決められた。ネメア競技復興協会が1995年に設立され、カリフォルニア大学とギリシャ政府が支援して1996年に第一回復興競技祭が開催された。以後4年ごとに行われるようになり、2012年には第5回ネメア競技祭が行われる予定である。

 この競技祭の復興の理念がなかなかおもしろい。それは、誰でもが参加でき、商業化の影響を排した大会ということだ。これは発掘に関わったカリフォルニア大学のミラー教授の主張による。彼によれば、今日のオリンピック競技会は高度化、商業化したことにより、古代の競技祭からかけ離れてしまったので、原点に立ち返る競技祭を示そうというものだ。競技場ではスピーカーなどによるコールも一切ない。祭典の進行はすべて人の声と笛の音による。

 一方、発掘の成果を生かしつつ、古代の風習をなるべく取り入れて、次のような手順で競走(89mで古代の短距離走の半分の長さ)が行われる。

・古代と同じ満月の日に行う

・開会宣言が行われ、聖火が灯火される

・選手は古代の更衣室に入り、靴を脱ぎ、キトーンという古代人の衣装を着て走る

・黒い衣装を着たヘラノディカイ(審判官)の前で不正行為を行わない旨の宣誓を行う

・笛の演奏と布告官の呼び出しを受けてスタートラインに向かう(12人1組)

・古代のスタート台の後ろに立ち、スタート装置のひもが下に落ちてからスタートする

・勝者はその印として赤い鉢巻きを頭につける

・すべての競技終了後に勝者に野生のセロリの葉冠が授与される

 この競技祭についての宣伝はさほど行われないので、20カ国ほどの国から1000人を越えたくらいの参加である。年齢層は幅広く、4歳から90歳代までの人が年齢別に走る。競技の2日目には、オリーブの木の植樹が行われた後、歌、舞踊、演奏などの文化プログラムも行われる。

 筆者も競走に参加したが、きれいな山並みに向かって、古代の競技場を裸足で走るのは何とも爽快である。オリンピックとは違う、より原始的な古代の競技祭を味わうには、うってつけの競技祭であろう。

真田 久
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