スポーツが社会のためにできることは何か。その答えに一歩近づく取り組みが実現した。オリンピックをはじめとする国際競技大会の現場でアスリートを支える医師、トレーナー、理学療法士らが医療ボランティアチームを結成し、東日本大震災の被災地で医療支援にあたったのだ。

 3月28日から4月28日までの1カ月間にわたり、岩手県大船渡市で支援活動を行ったのは、JOC(日本オリンピック委員会)医学サポート部会、JISS(国立スポーツ科学センター)、日本水泳連盟などの競技団体のメンバー。そのなかから手を挙げた、のべ16人の医師と13人のトレーナーが9チームに分かれ、JOCの担当者も同行して、4日間ずつ交替で現地に滞在した。
 「スポーツにかかわる医療人として、スポーツで培った経験を力にしよう」。そうボランティアチームの結成を呼びかけたのは、東芝病院スポーツ整形外科部長の増島篤先生だ。東芝の野球部、ラグビー部、バスケットボール部などの選手サポートをはじめ、オリンピックの日本代表選手団本部ドクターやJOC(日本オリンピック委員会)情報・医科学専門部会のメンバーとして長年、医療の面からスポーツを支えてきた人物である。災害ボランティアは阪神・淡路大震災で経験し、災害時の医療支援の必要性を痛感していたことから、今回もすぐさまアクションを起こした。

 3月28日の朝、東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターを出発した第1陣は、甚大な被害を受けた陸前高田市から大船渡市に入る際、津波の脅威にさらされた町の惨状を目に焼きつけた。翌日からはさっそく大船渡中学校などの避難所を回り、産婦人科医は県立大船渡病院産婦人科の当直を手伝うなどして、4日目からはリアスホールと呼ばれる市民文化会館を拠点に本格的な診療を開始した。
 地震発生からある程度時間が経った被災地では、ケガなどの外科的な処置よりも、むしろ内科の疾患が多いという。慣れない避難所生活に疲れ、頭痛や下痢、胃痛、不眠、風邪などの不調を訴える被災者が増えるからだ。そのことを阪神・淡路大震災の経験で熟知していた増島先生は、ボランティアチームのメンバーにあらかじめ内科医を多く採用していた。また同じような症状は、心身のプレッシャーを背負って国際競技大会に臨む選手にも起こること、診療は限られた機材やスペースで行うなどの点で類似しており、日頃、選手の帯同に慣れている医師やトレーナーの仕事ぶりは落ち着いたものだったという。

 なかでもトレーナーは大活躍で、運動不足のため筋肉が弱ったり、固い床で寝ていて腰痛になったりする人々のマッサージやリハビリに追われた。筋肉をほぐすストレッチや軽い筋肉トレーニング指導も喜ばれ、「その手で北島康介をさわったの!?」「浅田真央ちゃんと話したの!?」と会話にも花が咲く。何気ない世間話をし、時には聞き役に徹することも、被災者のストレス解消につながる大切な治療の一つなのだ。

 「JOCの競技大会本部と震災ボランティアの現場での医療サポートには、出張して医療本部を作り、限られた条件のなかで診療するという共通点がある。自分たちの専門性を生かして、被災地のためにできることが必ずあると思った」と話す増島先生。1ヵ月の支援活動を終え大船渡市を離れる際、避難所の人々が別れを惜しみ涙を浮かべた。おにぎりまで持たせてくれたそうで、「どちらが励まされたのか」と医療ボランティアチームのメンバーは振り返る。
 活動の終盤は地元の開業医が診療を再開する時期にあたったため、自分たちが診ている患者をもとのかかりつけ医に戻す役割も担ったという。被災地の直接的な支援に加え、現地の医療体制復興の一助にもなったと言えるだろう。

 JOCにとって初の試みとなった医療ボランティアチームの派遣は、被災地の力になると同時に、スポーツが社会のためにできることの一つのモデルケースを示している。今後もオリンピアンの協力を得た子どもの心のケアなど、被災地のニーズを踏まえた支援の継続が検討されているという。スポーツの力を生かした貢献に期待したい。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター
2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。
2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、
2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。
競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面からオリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。
日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。
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