文=真田久 福島県相馬地方で行われている古式豊かで勇壮な祭り、「相馬野馬追」(そうま のまおい)が開催の方向で進んでいる。これまで何回か観戦に出かけたが、甲冑(かっちゅう)を着けた100騎もの騎馬が疾走する姿はまことに壮観である。

 国の重要無形民俗文化財である「相馬野馬追」は、福島第1原発事故の影響で今年の開催が危ぶまれていた。しかし祭典執行委員長の桜井南相馬市長が予定通り今年の7月23〜25日に開催する旨を発表した。??桜井氏は「犠牲になった方々への鎮魂のために行いたい」と説明した。6月上旬に執行委員会を開き、関係する神社や五つの騎馬会にはかって最終的に決定するという。

 「相馬野馬追」は、相馬氏の祖である平将門が野生の馬を放ち、敵と見立てて、これを追ったことに始まるといわれている。現在は太田神社(旧原町市)、中村神社(相馬市)、小高神社(旧小高町)の合同例祭、つまり神事として行われている。

 7月23日、早朝の花火を合図に甲胄姿の騎馬武者が相馬、原町、小高、浪江などから雲雀が原の本陣まで行進する。本陣に着くと、馬場潔めの式の後、陣笠と陣羽織を着て、翌日の競技の練習として馬を走らせる。

 翌24日は、各郷ごとに行進して雲雀が原へ集結する。甲胄を着け、旗差しを背につけて疾走する甲冑競馬が行われる。旗差物(はたさしもの)をなびかせて走る騎馬の姿は実に勇壮である。この後は、神旗争奪戦が行われる。これは、花火とともに打ち上げられた神旗を多数の騎馬武者が奪い合う競技である。夜は小高神社周辺の山や田にかがり火をいっせいに焚き、火の祭りを行う。

 25日には野馬懸(のまがけ)が行われる。数頭の裸馬を騎馬武者が追いたてて、小高神社の中に追い込み、これを浄衣を着た人が素手で捕え、神馬として献ずるのである。

 武の訓練として千年程前から続けられている伝統スポーツだが、この祭場地は原発から北に約25キロ地点にあり、現在は緊急時避難準備区域に入っている。相馬小高神社は立ち入りが禁止されている警戒区域内で、行事や神事をどこでどのような形で行うかが課題となっている。

 多くの犠牲者を出した今回の大震災と原発の影響で、今年の野馬追については、開催すべきかどうか賛否両論が出されていたが、騎馬会などでは、このような時だからこそ、規模を縮小しても実施し、地域活性に貢献したいとの声が相次いでいた。南相馬市は開催を想定して5月2日には、警戒区域に取り残された馬を原町区内に搬送していた。

 騎馬武者による甲冑競馬が相馬で行われることは、地域復興の願いを共有するとともに、過去から連綿と受け継がれてきた遺産と人々との絆をさらに深める事になるだろう。加えて今年は犠牲者を追悼するという新たな儀礼が加えられる。

 競技を行うことで死者を弔う風習は、古代ギリシャ人の間でも、中央アジアの騎馬民族でも行われていた。ギリシャでは、オリンピアのみならず、ネメアやデルフォイなどの競技祭も、葬送の儀礼として始められたとの説があり、葬送競技が日常的に行われていたのだ。

 葬送と復興への願いという新たな価値が付与される今年の「相馬野馬追」、その規模はどうあれ、開催が待ち遠しい。

真田 久
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