アスリートの力を医療の現場へ 〜清水宏保の挑戦〜


 「1週間あたり、一人がスポーツやその関連イベントに1ドルを投じると、3ドル21セントの医療費削減につながる」。欧米諸国のデータを挙げて、スポーツと医療の関連性に踏み込んだのはスピードスケート金メダリストの清水宏保さんだ。


 7月12日、都内ホテルで開かれた「アジアアスリートフォーラム2011〜アスリート発、スポーツの力〜」の一場面。JOC(日本オリンピック委員会)アスリート専門部会とOCA(アジアオリンピック評議会)アスリート委員会が協力し実現した同フォーラムは、国内外のアスリートやスポーツ関係者らが集い、社会におけるスポーツの役割とは何か、スポーツの持つ影響力とは何かをテーマに、アジアのアスリートを取り巻く現状報告とオリンピアン・パラリンピアン6人による講演が行われた。清水さんはその一人として登壇し、「選手たちの力を医療現場に生かしたい」と訴えたのだ。



 2010年2月に現役引退を発表した清水さんは、今春から母校である日本大学の大学院で医療経営学を学んでいる。医療経営学とは耳慣れない分野だが、平たく言えば病院経営の方法を学ぶ学問のこと。医療事務のようなものをイメージされるかもしれないが、そうではなく、医療制度や医療政策に関する知識、医療従事者の労働状況、患者動向、設備、収益などに見られる院内環境の分析方法、医療用医薬品、医療機器といった医療産業の成長戦略など、病院経営を幅広く学び、実践するためのマネジメントスキルを身につけることを目的とする。清水さんはこの分野でMBA(経営管理学修士)の取得を目指している。


 セカンドキャリアに医療の道を選んだのは、気管支喘息と闘ってきた自身の経験が大きく影響している。幼い頃から重度の喘息患者でありながら、フィジカルとメンタルをコントロールすることで競技生活を乗り越えてきたことは広く知られるところだろう。

 「心臓や体への負担を考えた両親が薬を使うことを嫌って、運動で病気を治していこうと考えた。スピードスケートを始めたのもそれが理由」と話す清水さんは、激しい運動をしてあえて発作を誘発することで肺を鍛えるという無謀とも思える方法で鍛錬を積み、限界を超えていく強さを身につけた。

「選手はケガをして初めて自分の体と向き合うものだが、僕の場合はもともと病気だったおかげで、常に自分の体を意識することができた。意識はいつも内臓にあった」と清水さん。そこから得られた経験を今度は医療に生かし、社会に還元していこうというのだ。


 しかし、アスリート一人が声を上げても、それを届けるシステムがなければ形にはならない。実際、アスリートが心身にわたって培った経験とノウハウが社会に生かされるケースは一握りで、セカンドキャリアで路頭に迷う選手が後を絶たない。そこで今年6月には待望のスポーツ基本法が成立し、国を挙げて改革に乗り出す体制がようやく整ったわけだが、清水さんもセカンドキャリアの重要性を痛感する元選手の一人として、独自の方法でそこに加わったと言えるだろう。

 「アスリートが感じる特殊な感覚は、なかなかわかってもらえない。僕自身も喘息と腰痛を抱えた選手生活の中で運動療法を実践し、ドクターに自分の感覚を伝えてきたが、医学的にはあり得ないと否定されてしまうことがしばしばあった。そのときに思ったのが、医療と医学とは別だということ。だから薬などをうまく利用する西洋医学と、運動療法や食事療法などを取り入れ免疫力を高めていく東洋医学を融合させた統合医療を実現したい。それは競技に励む選手たちだけでなく、子どもや高齢者の運動促進やケアなど社会に貢献するものだし、アスリートの力が必ず生かせるはずだから」


 医療をトータル的にマネジメントするというアプローチでセカンドキャリアを踏み出した清水さん。新たな挑戦は始まったばかりだ。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター
2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。
2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、
2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。
競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面からオリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。
日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。
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