鎮魂と復興の思いをこめた「相馬野馬追」
第75話で紹介した「相馬野馬追(そうまのまおい)」を見に出かけた。7月23日から25日まで、相馬市と南相馬市内を中心に行われた。1000年以上の歴史をもつ、国指定の重要無形民俗文化財に指定されている祭りだが、今年は大震災による津波と福島第一原発事故により、甲冑(かっちゅう)競馬と神旗(しんき)争奪戦が行われなかった。犠牲が大きかったことと、会場の雲雀ケ原(ひばりがはら)祭場地が緊急時避難準備区域に位置するためであった。これらは「サムライ・スポーツ」として外国にも紹介されている。今年は犠牲者を追悼する「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」として、三つの神社の神事を中心に開催されたのである。規模は縮小しても、開催できたことの意味は大きい。 初日の23日は、相馬市の相馬中村神社で「出陣式」が行われた。参加者全員が海の方に向き、ほら貝の音とともに黙とうを捧げた。旧相馬藩33代当主の長男で総大将の相馬行胤(みちたね)氏は、涙をぬぐいながら、「一人一人が相馬野馬追の伝統の力を信じ、一日も早い復興が実現することを念じながら行軍してほしい」と騎馬武者たちに訓示した。 24日は南相馬市原町区の相馬太田神社で例大祭が行われ、25日は馬を素手で捕らえる「野馬懸(のまがけ)」を省略し、同市原町区の多珂神社にて、馬を神前にささげる「上げ野馬」が行われた。これには3頭の馬を神社の境内に誘導し、1頭を神馬として神前にささげ、追悼の儀式が行われて、今年の相馬野馬追は終了した。 今年の相馬野馬追は開催が危ぶまれていた。旧相馬藩内の五つの騎馬会から騎馬武者たちが出陣するのだが、津波、原発事故、そして風評被害の程度が、各地域で異なるため、調整がたいへんであったという。それでも最終的には、犠牲者の追悼と復興のために、ということで意見がまとまった。開催できたことに祭典執行委員会の関係者は安堵(あんど)したが、その一方でメーン行事である甲冑競馬が行われなかったことは悔しいし、残念でならない、という声もあがっていた。
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