仙台から行くぞ、ロンドンパラリンピック!


 けれん味のないひたむきなプレーが観る者を感動させた“なでしこジャパン”優勝の熱がいまださめやらぬ日本。「来年のロンドン五輪でも金メダルを……」と周囲の期待は高まるばかりだが、他のサッカーも負けてはいない。視覚に障害がある人たちが音とイマジネーションを武器にピッチを駆け巡るブラインドサッカーの日本代表も、ロンドンパラリンピック出場がかかる12月のアジア選手権に向けて選手強化が山場を迎えている。
 ブラインドサッカーがパラリンピックの正式競技となったのは2004年アテネ大会からだが、初出場が有力視されていた08年北京大会ではあと一歩のところで逃してしまった。この4年間はその悔しさをぶつけるかのように協会と選手が一体となって、競技そのものの啓蒙普及活動とレベルの向上を図ってきた。
 このコラムの第35話第39話でも紹介したが、昨夏イギリスで開催された世界選手権では、この競技の面白さを少しでも多くの人に知ってもらおうと、学生スタッフが現地からストリーミング中継に挑戦。ネット上はもちろん、都内に設けられたパブリックビューイングの会場でも多くの観戦者を集め、選手たちの一挙手一投足に声援が飛び交った。

 今年は悲願のパラリンピック出場に向けてさらなる選手のサポート環境を整えようと、協会は7月11日に青山のフィアットスペースでアジア選手権に向けたイベントを開催。リラックスした雰囲気の中で、ブラインドサッカー日本代表の落合啓士選手と加藤健人選手、1998年W杯フランス大会に日本代表として出場した山口素弘さんと名波浩さんがコラボするトークショー形式の記者発表会が行われた。
 実は、山口さんも名波さんも以前からブラインドサッカーのサポーターで、落合選手や加藤選手とは交流がある。テレビのドキュメンタリー番組でこの競技を知ったという名波さんは、09年アジア選手権で大会アンバサダーも務めており、鈴入りのボールを使って家で子供たちとブラインドサッカーを楽しむこともあるそうだ。イベントへの参加依頼があるたびに密かに(?)練習して腕前を上げている。
「アイマスクをしていても、パスを出すだけなら足元にボールが収まっているので問題はないんです。でも、ドリブルシュートが難しい。蹴る瞬間、体からボールが離れてしまうのでジャストミートできず、何度も悔しい思いをしました。それを落合くんに話したら、“ぼくはそれを2時間ぐらい練習しています”と事も無げにいう。同じ練習を2時間も続けられるんだから、サッカーが相当好きなんだなぁと思った」(名波さん)

 心構えやアドバイスをもらう絶好の機会なだけに、加藤選手は「勝たなきゃいけないというプレッシャーとどうつきあったらいいか?」と山口さんに質問。「そこに至るまでの準備さえしっかりできていれば、どんなに緊張していてもボールに1回タッチすればスッと落ち着くよ。大事なことはサッカーを楽しむ気持ちを忘れずにやること」と山口さんがアドバイス。一方の落合選手は司令塔としての心構えを名波さんに求めたところ、「見守る人が5〜10人ぐらいしかいない日頃の練習でも、常に5万人の観客に見られているイメージで臨むこと。そうしたトレーニングを続ければ、大舞台でもいつも通りかそれ以上の力が出せる」との助言をもらった。最高峰のステージを経験した選手の言葉は、つくづく競技の枠を超えて参考になる。

 さて、肝心のアジア選手権だが、12月21〜25日に宮城県仙台市の元気フィールド(東日本大震災で5km先まで津波が押し寄せてきた場所)で行われる予定だ。09年のアミノバイタルフィールド(東京)に引き続き、2大会連続の日本開催となる。
 最大のライバルであるイランと韓国も開催に名乗りを上げたが、政情不安や財政問題などがあり、前回大会のオペレーションやホスピタリティーの良さが国際視覚障害者スポーツ協会(IBSA)に評価され、日本に開催が決まったようだ(詳細は不明)。ロンドンパラリンピックでのアジア代表枠は「2」だが、すでに中国の1枠が確定している。残る1枠を賭けて戦ううえで地の利を得たことの意義は大きい。
 当初は会場も前回同様アミノバイタルフィールドを想定していたが、節電の影響などが見通せず断念。ブラインドサッカーの場合、天然芝だとボールの鈴の音が消えてしまうためピッチは人工芝が必須条件だが、震災後に2000〜3000人の観客席を持つ会場を5日間確保するのは至難の業だった。視覚障害のある選手への対応は相応のリソースがないとできないため、以前から様々なイベント開催で縁の深かった仙台市に打診。震災復興に忙殺される中、市も積極的な支援姿勢を見せてくれたことから仙台での開催が決まった。

 日本ブラインドサッカー協会の松崎英吾事務局長は、大会の抱負を次のように語る。
 「協会としてこれまでも選手とともに避難所を回り、被災者たちの運動不足解消のお手伝いやマッサージなどの活動を行ってきましたが、12月のアジア選手権では社会的に弱者とされる視覚障害者の勇気を与えるプレーで、“可能性”や“希望”というメッセージを発信していきたい」
 福島出身の加藤選手は、仙台での開催にとりわけ大きな意味を感じている選手の一人だ。
 「自分のプレーがチームをいい方向に持って行けるかはわかりませんが、全力でプレーしている姿を東北の人たちに見てもらいたい」
 日常生活ではハンディを負うことの多い彼らが、被災地の人たちと一緒になって悲願のパラリンピック出場を掴み取ることができたなら、こんなにうれしいことはない。12月のアジア選手権では、なでしこジャパンに続く吉報を待ちたい。


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