第94話 日本で世界大会を開く意義

2011/10/28

 10月7日を皮切りに、東京体育館で開かれた「第43回世界体操競技選手権・東京大会」が16日、幕を閉じた。今大会は来夏のロンドンオリンピック(2012年7月27日から8月12日)の出場権がかかっているとあって、例年以上に注目を集めた。会場で直接ご覧になった方、あるいはテレビで楽しまれた方は多かったことだろう。
 周囲の期待にこたえるように、日本勢は男女団体で出場権を獲得。女子は7位入賞と表彰台には届かず、33年ぶりの団体金メダルを狙っていった男子も離れ技のミスが響き銀メダルにとどまったが、内村航平選手の大会史上初となる個人総合3連覇や、金2、銀1、銅4の7つのメダルを取れたことは、ロンドンオリンピックに向けて明るい材料になった。

 体操に限らず、日本で国際大会を開く意義とは何か。
 一つには、世界中から集うトップ選手のハイレベルな技や演技を多くの日本人が目の当たりにすることで、例えば体操競技に励む、とくに若年層の競技意欲やレベル向上への期待がある。また競技人口の増加や一般層のスポーツへの関心を広げる効果もあるだろう。

 参考までに、今大会を独占中継したフジテレビは平均視聴率16.1%、瞬間最高視聴率24.6%を記録した。今年8月、TBSが独占中継した世界陸上の平均視聴率が15.2%、瞬間最高視聴率は21.0%(ともにビデオリサーチ調べ)だから、日本人選手がメダル争いに絡んだ体操は陸上以上に関心を集めたといっていいだろう。

 ちなみに世界体操の瞬間最高視聴率は、男子個人総合決勝で内村選手が3連覇を果たしたとき。世界陸上は男子100m決勝で、ウサイン・ボルト選手がフライングで失格した直後に記録している。

 もう少しスポーツ界の内側に目を向けてみよう。
 体操に限らず、多大なマンパワーとコストがかかる世界大会を誘致し成功させることは、世界のスポーツ界に日本の信頼性と存在感をアピールすることになる。とくに今大会は地震による原発問題が焦点となり、日本での開催の可否が綿密に議論された。その結果、主催者であるFIG(国際体操連盟)と協力し、大会を無事成功させたことは日本の大きな実績につながったことだろう。
 日本の存在感といえば、覚えておいでだろうか。東京が2016年のオリンピック招致に敗れた2009年の秋、日本の国際力の足りなさが敗因の一つに挙げられた。当時、JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長は、「JOC、NF(National Federation=国内競技団体)を含めたスポーツ界での発言力、世界とのパイプ、人材が必須。国際化への努力をしなければならない」と語っている。
 国際舞台での発言力やパイプを確立するにあたっては、まずIF(International Federation=国際競技団体)に人材を送り込むことが必須となる。IFとNFの架け橋になれる人材投入なくして、日本の国際力の強化はあり得ないからだ。
 ちなみに日本は68団体のうち58団体に参画しており、オリンピック競技に採用されているIFで、ある程度の発言力をもっている日本人役員は20人に満たないとみられる。

 さて、こうした“裏”事情の重要性もさることながら、巷では世界体操をめぐる、たいへんユニークな声を聞くことができた。

 それは男子団体決勝の翌朝のこと。筆者の仕事場の一つである某オフィスで、ある20代の女性スタッフが熱っぽく語っていたのは、こうだ。

「夕べ、うかつに世界体操見ちゃったんですけど、意外とハマっちゃって。男子団体が金メダル取れるか取れないかで、すっごく興奮しちゃいました」
 この「うかつに」という言葉からは、彼女が体操に興味がないことが伺える。聞けば、やはりスポーツ自体に関心がないそうだ。
 ところが話をしていくうちに、実は中学時代、部活動で新体操をやっていたことがわかった。「体操のことなんて思い出したこともなかったけど、世界体操を見て体操の面白さを思い出しました」と彼女。会話はいつのまにか、難解な採点方法や技の難度のことに及んでいた。

 スポーツから遠ざかっていた人が、再びその魅力に気づく。世界中が注目する競技大会を日本で開くことの意義とは、きっとこんな身近なところにもあるのだろう。

高樹 ミナ(たかぎ みな)

スポーツライター

2000年シドニー大会の現地取材でオリンピックの魅力に開眼。

2004年アテネ大会、2008年北京大会を含む3大会を経て、

2016年オリンピック・パラリンピック招致に招致委員会スタッフとして携わる。

競技だけにとどまらず、教育・文化・レガシー(遺産)などの側面からオリンピックとスポーツの意義や魅力を伝える。

日本文化をこよなく愛し、取材現場にも着物で出没。趣味は三味線と茶道。

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