第95話 演技スポーツのゆくえ

2011/10/28

 84サラエボと88カルガリーの冬季オリンピックで2連覇を成し遂げたフィギュアスケートのカタリーナ・ヴィットが、プロ転向後の1994年、オリンピックに戻ってきた。
 大会前はヴィットの復帰より米国代表のふたりの選手、ケリガンとハーディングの戦いが話題であった。米代表の座をめぐり、ハーディングの関係者がケリガンにけがを負わせる事件が起こり、ハーディング自身の事件への関与が疑われる中、両者の直接対決がオリンピックで実現するからだった。
 直接対決では表彰台に上った(2位)ケリガンに軍配が上がった。優勝したのはウクライナ(旧ソ連)のオクサナ・バイウル。バレエで鍛えた研ぎ澄まされた動きに回転数の多い豊富な種類のジャンプで、フィギュアスケート新時代の幕開けを告げた。ジャンプ力の戦いの火つけ役となった伊藤みどりは、1991年の世界選手権で女子選手として初めて三回転ジャンプを決めて優勝。翌年のアルベールビル五輪は、クリスティ・ヤマグチ(米)との三回転勝負に注目が集まり、見事にジャンプを決めたヤマグチが制した。
 「いつの間にかフィギュアスケートが単なるジャンプ競技になってしまったことに不満だった」というヴィットは、94リレハンメル五輪で異議申し立ての戦いに挑んだのである。

 「…フィギュアはこの方向に進んでいっていいものか? 以前、フィギュアは間違った道に踏み込んだ。アクロバティックな動きをする男性と、ごく小柄な女性という、いかにも人工的なペアが集結したとき。マスコミは『使い捨ての娘たち』と書いたが、それはゴミみたいに簡単に持ち上げたり、放り投げたりできたからだ。ところが突如ペアに対する関心はほとんどゼロになり、代わって観客の大半は、長いあいだ日陰者だったアイスダンスを見るようになった。調和とエレガンス、そして表現力。こちらのほうが急にアクロバットより高い評価を受けるようになった」(ヴィット『メダルと恋と秘密警察』より)

 かくしてヴィットのオリンピック再挑戦は、自身が理想とするフィギュアのあり方、表現力の大切さを問う戦いであった。当時すでに28歳の彼女は体力面に加え、長らく競技から遠ざかっていたハンデもあった。過去の名声に傷がつく可能性を心配する周囲の制止を振り払って挑んだヴィットは、反戦歌である「花はどこへいった?」の曲に乗り、一輪の花と化し、一挙手一投足に平和への祈りを込めて滑った。他のどの選手に対するものより拍手は大きかったが、結果は7位に終わった。
 当時、東西冷戦体制が崩壊したとはいえ民族紛争が多発する世界情勢にあって、ヴィットが初めて金メダルに輝いたサラエボでも92年に始まったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が長期化していた。93年に国連が五輪休戦を決議し、さらに、大会開幕直前にはサマランチIOC会長(当時)が五輪停戦を呼びかけた。効果はすぐには表われなかったものの95年10月、紛争は終結した。それに対し、02ソルトレイク大会後、採点基準が変更されたものの、ジャンプの成否が勝敗を分けるという意味で、ヴィットの願いは叶っていない。

 おりしも、東京で開催された世界体操2011を見ていると、技の《難度》と《美しさ》とのバランスに関わる採点のあり方で、国際体操連盟も苦慮している様子がうかがわれた。
 体操競技の採点は、演技を構成する各技の難易度を合計したD点と、出来栄えを評価するE点の合計で競われる。加点方式のD点は高難度の技を多く組み入れると高得点が狙えるのに対しE点は減点方式となっていて、いかに技の美しさが優れていても得点には反映されにくく、美醜よりも正確さが問われる。
 このため、現行の採点方式は、中国やアメリカなど高難度の技で勝負するのには有利で、日本のような美しさを追求する向きには不利だと言われる。そうした逆境にありながら、世界選手権史上初となる個人総合3連覇、さらにエレガンス賞にも輝いた内村航平選手は「エレガンス賞のほうが嬉しい」と喜びを素直に口にしたが、今や日本の体操を評価する判定基準はエレガンス賞のほうにこそある…そういっては言いすぎかも知れないが、去年は女子の田中理恵選手が受賞している。

 しかし日本にとって朗報もある。大会後、国際体操連盟のグランディ会長は、来年のロンドンオリンピックに向け、美しい演技に重きを置く採点とする方針を示した。体操王国として受け継いできた伝統が今回の内村選手の演技を通じ、体操の本来性を再考させる契機になったとすれば、それもまたいずれは体操ニッポンの大きな功績に数えられることになるだろう。

嵯峨 寿(さが ひとし)

筑波大学准教授(レジャー・スポーツ産業論)。秋田県生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修了、(財)余暇開発センター研究員などを経て現職。CSRや社会貢献活動などを通じた企業とアスリートのパートーナーシップが、双方およびスポーツや社会におよぼす効果などを研究。
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