第98話 マラソン大国ケニアを陰で支える日本人
2011/11/18
スポーツライターなどという仕事をしていると、おそろしく魅力的な人に出会うことがある。それは選手に限ったことではない。ケニア在住のスポーツコーディネーター、小林俊一さん(69)もその一人だ。 トレードマークは銀座でそろえたこだわりの帽子。夏は小粋なパナバ帽、冬はアル・パチーノ顔負けのボルサリーノで決めている。ジャケットの胸元にはケニアの国旗をモチーフにしたバッジが光る。それは“第2の祖国”に対する敬意の証のように見える。 選手の多くはケニアの首都ナイロビから北北西に250キロほど離れた、標高2200メートルのニャフルルという町から巣立っていく。小林さんはそこに陸上クラブを持ち、10代の子どもたちの中から宝石の原石を発掘する。クラブの運営費は自分持ち。借り上げた民家で合宿をし、指導には現地のケニア人コーチがあたっている。 小林さんは子どもたちの走る姿が好きだ。自身も高校時代は中距離ランナーだったが、成績は伸び悩んだという。だからこそ天賦の才に恵まれたケニア人の走りに魅せられるのだろう。「着地がきれいな子はマラソンで伸びる」。そう言って、彼らの後ろ姿に目をこらす。 小林さんの目にとまればランナーとしての道が拓ける。それはこの国において“生活の道”が拓けることを意味する。日本で活躍し金を稼ぐことができれば、家族が楽に暮らせるのだ。そんな現実を熟知する小林さんは、生活をかけて走る彼らをこう鼓舞する。「2本の脚でチャンスをつかむんだ!」 来日の際には身元保証人、パスポートの作成、ビザの取得など、いっさいの面倒を小林さんが見る。トイレの使い方まで教えるそうだ。そうして日本にやって来た選手たちは、非常にまじめで練習熱心だ。 なかでも小林さんのリクルート第1号で、1983年にヱスビー食品に入ったワキウリ選手は「クソ」がつくほどのまじめ人間。「脚力3流、努力1流、修行増みたいなケニア人」と小林さんは親しみを込めて言う。 そんな小林さんの存在が表に出ることはほとんどない。しかし選手を思う気持ちは熱く、今年の箱根駅伝では2区のスタート地点で体にケニアの国旗を巻きつけ、日本へ送った選手をじっと見守る小林さんの姿があった。「ケニアの選手だけにわかる応援なんだ」と小林さんは言う。 今年も駅伝とマラソンの季節になった。来年の夏にはロンドンオリンピックも控えている。サバンナの大地、ニャフルルから巣立っていったケニア人ランナーにはオリンピックのマラソンで金メダルを狙える選手もいる。彼らを見守る小林さんの目がボルサリーノの下で光る。2本の脚でチャンスをつかむのだ、と。
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