企業CSRとスポーツ

 1980年代中ごろからグローバリゼーションが進み、ビジネスが変化していき、同時に外国の考え方や基準がグローバルスタンダードという名前で日本に入ってきた。まだ完全に日本全体がグローバル化したわけではないが、これからは、企業内でも何を変え、何を残すのかということを慎重に検討していかなければならないだろう。そういった意味で、企業とスポーツのあり方にもすでに変化が起きている。株主と投資家からの経営に対するチェックが格段に厳しくなったことが、企業スポーツにも無視できない影響を与えている。企業の社会的責任、いわゆるCSRというものが世間でも注目を集めているが、スポーツの振興は企業の社会的事業の一部であるということで今までは皆様に納得していただけた。しかし最近はそれだけの説明では株主や投資家を納得させることが難しくなっているのである。

 それでは、これからの時代の企業スポーツにはどのような新しい意義が考えられるのか?それを考えるために、まず日本の企業スポーツの歴史を振り返ってみよう。戦後の経済復興期においては、各企業は社員の福利厚生や健康増進を目的として企業スポーツを発足させた。また、戦後から高度成長期にかけては、企業が従業員のレクリェーションとしてスポーツクラブを発足することが素晴らしい娯楽であったと同時に、一流の運動部を持つことがすなわち一流に企業の証であると考えられ、世間の注目を集め、社員の士気の向上と一体感の醸成、企業のイメージアップと宣伝効果、ひいては地域との関係改善など様々な意義を持つものとして発展したと思う。右肩上がりの日本経済と相まって、企業にとっても、スポーツ振興にとっても非常に良い時代であった。

 しかしオイルショックを経て日本経済が安定成長に移行し、国民の生活水準も当たり、娯楽も多様化してきた。またグローバリゼーションの急速な発展など、経済環境の激変の中で、企業スポーツを取り巻く環境もかつてとは大きく変わってきた。

 第一に、競技力の高度化に伴い、企業スポーツの選手も職場での仕事に従事しないセミプロ化、プロ化が進んでいる。これにより選手たちは一般の社員から見れば、共に働く仲間という意識が徐々に希薄になり、それが社内での関心の低下や、職場の士気や求心力の向上に対する貢献度低下につながっている。

 第二に、情報通信の急速な発達により、世界各国の多様なスポーツコンテンツを家庭にいながらにして視聴できるようになった。これにより企業スポーツに対する世間や地域住民の関心や注目度が低下しているのではないかと大変懸念している。

 さらに重大な問題として、企業スポーツによる企業の宣伝効果や広告価値が低下している。今日の企業は広告宣伝についても、どれだけ費用をかけどれだけ効果があったのかという費用対効果を、株主や投資家に厳しくチェックされている。宣伝効果の低下は費用対効果を悪化させる。

 一時期、企業スポーツから撤退する企業が相次いだ。企業が社会貢献としてスポーツの振興に携わる企業スポーツというものは、企業が業績不振になれば縮小が避けられない宿命にあることを示している。しかしながら、現在までわが国スポーツの競技力維持向上に果たしてきた企業スポーツの役割を少しずつ縮小するということは、単にスポーツの振興にとどまらず、わが国の国力の停滞につながりかねない。私たちはなんとしても、企業スポーツの今日的な意義を確立することをはじめとして、企業とスポーツの新たな関係のありかたを見出していかなくてはならない。

 そのためのアイディアとして、企業スポーツチームを、地域共生、地域密着型のクラブチームに、あるいは複数企業所有や企業連携といった形の運営に変換させるチームも出てきた。こうした取り組みは企業にとって、スポーツに利益を還元しつつ、地域への貢献という点ではより大きな効果も期待できるという一挙両得の可能性がある。地域社会は、企業経営の重要なステークホルダーであり、地域の理解と信頼を得ることは企業活動に必ず良い結果をもたらす。また地域の子どもたちの交流は企業のファンの増加にもつながるため、大変有意義な取り組みとして株主、投資家の理解を得ることも可能になるのではないかと思う。

 次に、私がTOYOTAにおいて企業スポーツにどのような意義見出しているかについてお話したい。まず、第一に私どものように多くの従業員を抱える企業にとって、職場を挙げてのチームワークで最高水準の品質を確保することは必要不可欠な命題である。そういった状況においては、運動部員は依然として社員の代表選手であり、一般社員は彼らを応援することで、現代では薄れつつある職場の一体感や帰属意識を会社の押し付けでなく自然な形で表現、実現するのであり、そういった意味で運動部、運動部員は我々にとって何物にも代えがたい労務施策そのものだと感じている。また運動部、運動部員にとっても、スポーツを通じた労務政策、社会貢献を通じて会社や社会に貢献しているという使命感を持つことが、日々厳しい練習に耐え、遂行能力の向上につとめ、また自社内外での認知活動を自主的に実施していくうえで有意義だと思う。それに対し会社はその努力に対して刺激し、正しく報いていくこと、つまりは相応の信頼関係を構築していくことこそが、スポーツにおける企業CSRの重要な要素ではないかと思う。

 21世紀を迎え、グローバル化や多様化といった環境変化が進むなか、現在企業に求められる人材は変化していると世間では言われている。私自身、多様な個性の集団の中で、より国際的な視点を持って、時にはリーダーシップ、時にはメンバーとして、競争と協調を実践しながら困難な課題にチャレンジしていく人材がこれからは求められているのではないかと思う。ただ、その一方で20世紀の日本産業を支えてきた、強い精神力、チームワークといった気質も引き続き企業人において重要な資質であり、与えられた任務を粘り強く、確実に遂行していくという能力もまた当然ながら必要である。そしてこのような資質は、スポーツのハイレベルな鍛錬を通じて養うことができるものであり、運動部はそのための絶好の環境であると思う。なぜなら、スポーツは万国共通のグローバルな枠組みのなかで競っており、選手は日々高い目標を掲げ少しでも進歩して強い相手に勝つことができるように鍛錬を重ね、その行動を通じて不屈のチャレンジ精神を形成しているからである。

 また2001年からTOYOTA WAY 2001という名前で方針を打ち出し、世界中のTOYOTAの社員にその価値観や考え方を共有してもらうことを実施している。これはチャレンジ、改善、現地でのリスペクト、チームワークについて社員を指導するものであり、仕事をする上で世界中のTOYOTA社員が共通して必要とされる企業人としての考え方である。これはスポーツの基本精神に大変酷似しており、TOYOTA WAY 2001の精神は多くのスポーツ選手がすでに身につけているものである。このようなことからも運動選手は単に競技においてのみ優れているのではなく、企業人としても優れた資質を持っている。そして企業スポーツに取り組むことは、そうした優れた人材を企業として確保していく意味でも大変有意義だと思う。このようなスポーツ選手は企業にとって非常に貴重な戦力であるという認識こそが、私ども企業がスポーツ部を持つ最大の理由であり、その重要性は今後とも変わらないものである。

 スポーツ選手はその現役時代が短く、生涯を通じての業績を積み重ねていくことは芸術分野と比べると難しい。また技術の継承の機会が乏しいこともあり、ごく一部の有名選手を除くと一般の方から人間的に尊敬されることが出来にくいのが実状だと思う。しかし、スポーツ文化が国民的共感を集めていることを考えれば、スポーツ選手の社会的地位がもっと高くても良いと思う。また私ども民間企業でも引退後の選手に対して、その優れた能力と資質を活かすため、セカンドキャリアの場を積極的に提供していきたいと考えている。行政としてもこれらの分野に、より積極的な支援や社会的なPRに取り組んでいただけると幸いである。

 私ども民間企業も様々な制約はあるけれども、各企業団体、トップリーグの皆様とともにスポーツの無限の可能性を探り続けたいと考えております。皆様の日頃のご支援を改めて感謝申し上げるとともに、今後の一層のご支援、ご指導を願い申し上げて、私の話を締め括らせていただきたい。

※このコラムは、当機構主催で2005年12月19日に開催された「トップリーグセミナー」での講演内容を再構成したものです。