スポーツイベントにおけるチケット販売のノウハウ(その1)

巨大イベント成功のための主要な要因として・・・

1. はじめに

 みなさま、はじめまして。小山内孝之と申します。このたび、日本トップリーグ連携機構のホームページに連載をすることになりました。

 私は、1984年4月にぴあ株式会社に入社し昨年まで22年間、主にチケットぴあでスポーツ業界のチケッティング業務に携わってきました。この経験を元に、現在はチケッティングに関するコンサルティングの仕事をしております。そのノウハウを、今回の連載で皆さんに提供していきたいと思っております。

 この連載は、2007年1月から3月まで月2回、全6回に分けて発表させていただくことになっております。内容は、第1回「執筆者自己紹介・コラムの内容・チケッティングの歴史」、第2〜3回「過去に担当した事例(スポーツイベントのチケッティングについての経験から)」、第4〜6回「チケット販売のノウハウ(チケット販売のヒントとまとめ)」となっております。叩き上げの経験を元に、一枚でも多く販売するための多方面からのヒント(アプローチ)をご紹介していきたいと思いますので、どうぞご期待ください。

 前置きが長くなってしまいました。さっそく今回の本題に入っていきましょう。私が「ぴあ株式会社」に入社した1984年はまさに、オンラインチケット販売の「チケットぴあ」がスタートした年でした。その頃の話からはじめましょう。

2. チケッティングの歴史

 1980年代は、イベントの世界と、それを取り巻くインフラが変化していった、いわば改革の10年と言えるでしょう。それ以前は、お客様がイベントのチケットを購入しようとする場合、(1)主催者へ電話で予約して代金を郵送し、チケットが郵送されてくる、(2)有名プレイガイドで購入する、の二つの方法が主流で、そのイベント情報、すなわちチケット販売情報も、新聞などによる告知が一般的でした。プレイガイドにあるチケットは原券(業界では、主催者側が作ったチケットの事。本券とも言う。)で納品されるため、どこのプレイガイドに良い席がより多くあるかが、そのプレイガイドの評価を左右しました。音楽コンサートに強いプレイガイド、スポーツに強いプレイガイド、演劇に強いプレイガイドといろいろな噂が広がり、お客様も良い席を得るために必死になって、そのような情報を探していたのです。

 そのようなお客様の要求に対応するべく、お客様の側から見れば情報の取り方、これはすなわち主催者の側から見れば告知の仕方も変化していきました。主にイベントの情報を伝える1972年創刊の「情報誌ぴあ」は、1979年には月刊誌から隔週刊誌となり、それまでの新聞を中心とした方法とは比べ物にならないほどに、世の中にイベントの情報が流通し始めます。イベント情報の媒体としての情報誌の確立です。「情報誌ぴあ」は、創刊当初は都内の映画館で何が上映されているかの情報を網羅したものでしたが、その後、コンサートや演劇の情報も網羅するようになります。そしてお客様のニーズに応える形でチケット発売の情報を掲載するようになりますが、先駆けであったこともあり、その情報の量や正確さは他者の追随を許さないもので、最新のチケット情報はぴあを買うしかない、といった状況になっていました。

 ちょうどこの頃、世の中に段々とコンピュータが出回り始めます。電話回線を通じてネットワークが組める環境が整い、そのコストも採算の取れるレベルまで抑えられる時代がやってきました。オンラインチケット販売のインフラの登場です。それまで、イベントに行きたい人は何日もプレイガイドの前に徹夜で並んだり、主催者が設けたほんのわずかな回線に必死に電話をかけていました。しかし、オンライン販売は、電話受付センターに何百もの電話回線をつなぎ、販売処理効率を飛躍的に向上させることができます。また、このようなシステムを導入することで、一部の時間のある人だけに有利な今までの販売方法を、誰でも平等にチケットが買えるように変えることができるのです。さらに、このようなシステムを使ってチケット販売する情報を「情報誌ぴあ」を使って告知すれば、情報誌販売とオンラインチケット販売の相乗効果が得られるのではないだろうか。このように、1979年にぴあが隔週刊になる頃には、84年にスタートするオンラインチケット販売の「チケットぴあ」構想が出来上がっていました。そして、その構想どおりに、ぴあはイベント情報提供からチケット販売まで、トータルにサービスする企業に変革していきます。まさに、この時代のニーズを掴んだと言えるでしょう。一方、競合と言われていたタウン誌の「シティ・ロード」は、イベント情報誌ではなかったため、段々と販売部数を下げていきました。

3. 環境の変化、イベントの巨大化

2006年バスケット世界選手権で、ギリシャサポーターたちと。右から2人目が筆者

 そのようなオンラインチケットの環境が整うなか、改革の10年の終盤にイベントそのものが大きく変わっていきます。大規模なイベント会場は武道館のみという状況から変わり、1988年には収容人員55,000人の全天候型多目的「東京ドーム」が開業、同様に翌89年には17,000人収容の多目的アリーナ「横浜アリーナ」が開業しました。イベントの巨大化の始まりです。このような大規模なイベントホールが作られたことにより、主催者は高額な海外アーティストの招聘が可能になったのです。また、その頃「箱物行政」と言われたように、全国に会館やアリーナ会場が次々に作られていきました。さらに、演劇界では劇団四季が、「ミュージカル・キャッツ」を初めて西新宿の高層ビルの空き地にテントを張り、ロングラン公演の企画を検討していました。

 しかしイベントの巨大化は、これまでに無かった問題を引き起こしました。枚数がかさむ巨大イベントのチケット販売を、従来の人的な管理・販売方法でさばくのが困難になったのです。例えば、プレイガイドに劇団四季のキャッツのチケットが3か月分(3ヵ月単位で販売されます)、原券であった場合を想像してください。3ヶ月で約120公演として1公演当たり100枚配券があったとすると、12,000枚のチケットを管理しなければなりません。人的に原券で管理できる量を超えています。もちろんこの問題はオンラインチケットによって解決するのですが、オンラインチケット無くして巨大イベントはなし得なかったといえるでしょう。

 このように、1980年代にはじまったイベントチケットのオンライン化は、良いイベントを見たい多くの人々の要望に応える、時代の要請でもあったのです。

4. オンラインシステム開発の歴史

 チケッティングの時代背景について簡単におさらいしましたが、オンライン化を進めるシステム開発の歴史についても触れておきましょう。私が入社する少し前、「ぴあ」はオンラインでのチケット販売を当時の西武百貨店と一緒に開発を進めていました。しかし、84年スタートの見込みが見えてきた頃、西武百貨店側が独自開発に踏み切るということで、共同開発から離脱します。そのようなことがあって1984年、「チケットぴあ」と「チケットセゾン」の二社でオンラインチケット販売がスタートするわけです。その後「チケットセゾン」は、西武百貨店の業績不振から傘下を離れ、SONYと一緒になって「イープラス」となっていきます。また、「CNプレイガイド」は、1987年にプレイガイド協会の店舗と旅行代理店の店舗が中心に、旅行端末を使ってチケットオンライン販売を開始しています。現在の「ローソンチケット」は、1990年頃に当時NTTの熊本支社にいた技術者が、九州のイベント主催者の方々と開発したシステムが元となっています。まさにそのころ私は、チケットぴあ九州営業所の立ち上げで転勤しておりました。

 余談ですが、当事私はダイエーの店舗にチケットぴあ端末を入れ、「チケットぴあスポット」という店舗をフランチャイズ展開する事業を担当していました。しかし、先ほどの熊本NTTの技術者とダイエーが秘密裏に進めていた、独自にチケット販売を展開する計画を聞きつけて、ダイエー九州支社の担当部長に真意を聞きに乗り込みました。結果としてそれが事実と判り、程なくして九州地区のダイエーの店舗からチケットぴあ端末は撤去されることになったのは、私にとってつらい出来事でした。

 その後、ダイエーは「リザジャパン」というシステム会社を作り、「オレンジチケット」というネーミングでオンラインチケット販売を開始します。そして、コンビニエンスストア「ローソン」にも「オレンジチケット」のシステムが入り、ダイエーの店舗とローソンで展開しておりました。しかし、「オレンジチケット」もダイエー本体の業績不振によって、ダイエーの店舗から撤退。コンビニエンスストア「ローソン」だけの展開になったため、新たに「ローソンチケット」とネーミングを変え、システムも変更して今に至っています。

5. 主催者側の変化

 このようにイベントを取り巻く環境が大きく変わっていくなか、それを利用する側のイベント主催者はどう対応していったのでしょう。1984年当時、いくら時代の流れがオンラインチケット販売に向かっているといっても、主催者側でそれを敏感に感じている人は、まだそれほど多くはいませんでした。特にスポーツイベントというのは、最も保守的な世界だったかもしれません。その中で早くオンラインチケット化をしたのが、プロレスとモータースポーツ、バレーボールでした。このジャンルは当時もっとも人気があり、大会場で行われるイベントだったからです。しかし、そのほかのスポーツイベントは、従来のあまり大きくない会場を使っていて、新規の観客を増やす必要はなかった状況でした。昔からのスポンサーが定着していて、それら関係会社によるチケット団体購入もあったようです。

 このような状況に変化をもたらしたのが、1991年2月のバブル崩壊です。今までスポンサーとしていた企業がスポンサーを降り、チケットの団体購入を中止する企業が増えたことにより、イベントの収入源の見直しを余儀なくされたためでした。そのため一般向けのチケット販売で、確実に収入を確保しなければならなくなりました。しかし、主催者は、そのための新たな体制を作るなど、多くの時間やコストをかけてはいられません。よって、バブル崩壊をきっかけに、チケットぴあのようなオンラインチケット販売を利用することが、世の中に急速に広まっていったのです。

 しかし、オンラインでチケットを販売したからといって、急にチケットが売れるものではありません。「情報誌ぴあ」に載ったからといって、突如としてイベントが人に興味を持たれるわけでもありません。なぜなら、他の多くのイベントが同じようにオンラインでチケットを販売し、「情報誌ぴあ」に情報を掲載しているのです。他のイベントと同じ土俵に乗ったに過ぎないのです。一般の人々が楽しみを獲得するための情報や手段が溢れている現代は、限られた時間を使って数千円を払ってまで観に行きたいイベントを、さほど手間をかけずに選択できる時代になりました。本当の意味で、イベントの価値が問われる時代となったのです。

 このような世の中で、イベントのチケッティングを企画する際に要求されることは、一般の人々が何を求めているかの「感覚を敏感に感じ取る」こと、「イベントの価値を高めるチケッティング」の活用、「チケッティングの告知を工夫すること」、にあると私は感じております。次回以降、これらの点を実際のイベントを例にしてお話していきたいと思います。

 それでは、次回をお楽しみに。【第一回完】


オフィスOsanai代表

[会社所在地]

〒225-0021

神奈川県横浜市青葉区すすき野2-4-11-507

045-903-9112

[経歴]

1984年 3月 早稲田大学社会科学部卒業

4月 ぴあ株式会社入社 経理部勤務の後、チケット事業本部勤務

98年長野オリンピック推進室長、02年サッカーワールドカップ事業部長等を歴任

2006年 2月 オフィスOsanai設立。
特にイベントのチケッティングに関する問題検証、解決方法の提案、計画の策定などコンサルティング業務、及びチケット販売計画策定、オペレーション管理を行う。