第1回 〜社会の変化に伴う、スポーツ界の意識改革〜


 21世紀に入り、日本社会はIT技術の進歩や情報化、また、女性の社会進出などにより、社会構造が大きく変化した。その結果、多くの場面でこれまで用いられてきた基準では物事を判断することが難しい時代となっている。さまざまな枠組みが取り払われたボーダレスな社会を迎えたと言っていいだろう。グローバルスタンダードが適応され、今や全世界共通の価値基準で物事を判断することが世の中の流れとなっている。これに伴い、日本企業の経営にも大きな変化が生じている。これまで日本企業の多くは、社員の福利厚生やグループの結びつきを重視するといった、どちらかと言えば緩やかな経営体質であった。しかし、グローバルスタンダード適応による規制緩和や競争原理の導入といった欧米化の流れの中、多くの企業で従来の日本型鎖国経営は破綻を迎え、より株主などのステークホルダーを重視した経営へと方針の転換を余儀なくされている。この変化は、日本のスポーツ界にも大きな影響を与えている。

 日本のスポーツはこれまで学校スポーツや企業スポーツといったアマチュアスポーツを中心に発展してきたと言っても過言ではない。企業がチームを所有し、選手を従業員として雇用する企業スポーツのスタイルは日本独自のものであり、このシステムのもと戦後、数々の名門チームが誕生し、多くのオリンピック選手を輩出してきた。企業がスポーツチームを所有する理由としては、福利厚生や社員の士気高揚、社内の一体感を強めるといったことが挙げられる。企業スポーツに関わる多くの者が「スポーツチームは活躍することにより企業内部によい効果をもたらす。」といった、いわば内部マーケティング(インターナル・マーケティング)において重要な役割を担っていると考えてきた。しかし、上でも述べた欧米化の流れによる経営方針の転換やバブル経済の崩壊に始まる経済不況の中で、企業は経営に余裕がなくなり、リストラによる経営のスリム化や体質の強化を進めた。また、雇用形態や経営形態の多様化により、以前ほど従業員が企業に対する愛着心を持たなくなったと言われている。その結果、多くの企業で所有するスポーツチームもリストラの対象となり、女子バレーボールの日立やユニチカ、ラグビーの新日鉄釜石、男子バスケットボールの熊谷組やいすゞ自動車といった一時代を築いた名門チームでさえも廃部に追い込まれたのである。特に1990年代後半から2000年始めにかけては、毎年30以上もの企業チームが消滅するというスポーツ界にとって危機的な事態が生じた。この現象から、残念ながら、スポーツ関係者が考えていたほどスポーツチームの価値は企業の経営者に理解されていなかったのではないかということがうかがえる。

 2000年代半ばに入り、日本経済も一時の不況から抜け出したことから、企業スポーツチームの休・廃部数も減少し落ち着きを見せている。しかし、現在は落ち着きを見せているからと言ってこれまでと同じ意識でいては、どの企業スポーツチームも、またいつ休・廃部の危機にさらされるかわからない。運営のすべてを企業任せにするのではなく、チームが自ら価値を創造することにより、景気の影響や社会の変化に左右されないしっかりとした組織を創りあげることが、今日の日本のスポーツチームにとって大きな課題となっているのである。

 スポーツチームが新しい価値を創造するにはさまざまな方法が考えられる。その中でも、近年、世間的に注目されている企業の社会貢献活動への参加は、スポーツの魅力を生かすことができ、世の中の人々にスポーツが持つ価値を認識してもらうよい方法となるのではないだろうか。


市原 則之(いちはら のりゆき)

広島県東広島市出身

現日本ハンドボール協会副会長。日本トップリーグ連携機構専務理事。日本オリンピック委員会常務理事、総務委員長、北京オリンピック日本選手団副団長。