リンク栃木ブレックス「プロチームの可能性」への挑戦

<全3回>

第1回
「JBLプロバスケットボールチーム・リンク栃木ブレックス」

はじめに

 JBLプロバスケットボールチーム・リンク栃木ブレックスの代表を務めております山谷拓志(やまやたかし)と申します。この度このような場にて貴重な執筆の機会を頂きましたことをトップリーグ連携機構関係者の皆様にはあらためましてお礼を申し上げます。全3回ということで執筆の機会を頂きましたので、まだ着任して一年間数ヶ月という短い期間ではありますが、私自身がプロチームの経営に携わる中で学んできたことを端的にお伝えできればと思っています。とはいえ、おそらく「リンク栃木ブレックス」というチームについては名前すら初めて耳にするという方がほとんどかと思いますので、初回である今回はリンク栃木ブレックスの自己紹介として、チーム名の由来や考え方などをご紹介させて頂ければと思います。

リンク栃木ブレックスの誕生

 リンク栃木ブレックスは、昨年6月に誕生したばかりのプロバスケットボールチームです。特に母体となるチームはなくゼロからつくりあげてきたチームで、もともとは2004年12月に有志の方々が「栃木県にプロバスケチームをつくろう!」と約1万5千名の署名を集めたことに端を発しています。その後2006年に準備会社を設立し、現JBL(当時は新リーグという仮称で呼ばれていました)への新規参入の申請を行いましたが、経営基盤が脆弱であるという理由で却下されてしまいました。一時は設立を断念せざるを得ない状況となりましたが、その後、旧日本リーグをJBLの下部リーグ(現JBL2)として運営していくことが決定されたのを機に、気持ちを新たにその下部リーグへの参入を目指し活動を再開することになりました。2006年の12月には、東京の経営コンサルティング会社(株)リンクアンドモチベーションがメインスポンサーに内定したことで経営基盤が整い、また旧日本リーグに所属していた大塚商会アルファーズが翌年度から退会することになったため、リーグに所属する権利を大塚商会から譲り受けるという形で、昨年の4月に下部リーグ(現JBL2)への参入が承認されました。その後、6月に「ブレックス」というチーム名を発表、10名のプロ選手を迎えチームの活動が本格的にスタートしました。

チーム名の由来

 ここで、ブレックス/BREXというチーム名について由来や意味をご紹介したいと思います。当初チーム名の決定については一般公募をすることも検討しましたが、「新しいチームなので、自分達の意志をもって名称を考えよう」ということになり、確か3日間くらい深夜まで皆でチーム名について議論を重ねたと記憶しています。栃木県の名産物や強そうな動物の名称などが案に挙がりましたが、なかなかピンとくるチーム名が見つからずに議論が暗礁に乗り上げることもしばしばでした。皆で熟考した結果、「短くて発音しやすい響きの良い単語」「自分達の考え方や目指す姿を意味する言葉」といったコンセンサスが生まれ、数ある案の中から発音として音感の良い「ブレックス」という英語には存在しない造語に候補が絞り込まれました。実は最初は「BLEX」としてRではなくLを用いていたのですが、なかなか言葉として意味的にフィットする要素が見つかりませんでした。そんな中、「ブレックスって何回も言っていると“ブレイクスルー”に聞こえるよね」「昔映画でT-REXっていう恐竜がいたよな」というスタッフのひらめきによってまさに議論がブレイクスルーし、BLEXからBREXというスペルに修正され、また以下の2つの意味合いがチーム名に込められることになったのです。

ブレックス/BREXの意味
1) BREAK THROUGH(現状を打破する)という言葉の発音からつくった造語。既成概念を打破し、スポーツ界、バスケ界、そして栃木県に風穴をあけたい!という思いを込めています。
2) REXという言葉は、ラテン語で王者を意味しています。BasketballのREX→B-REX→バスケットボールの頂点を目指すという意志を込めています。

リンク栃木ブレックスのあゆみ

 再びチームの自己紹介に話が戻りますが、最後にチーム名の決定から現在に至るまでの経緯を簡単にお伝えして初回を終えたいと思います。頂点を目指すというチーム名のごとく、中長期的な目標を「5年後の日本一」「3年以内のJBL昇格」に設定。とはいえまず初年度は所属するJBL2で優勝することを目指し、11月の開幕に向けて準備を進めていましたが、そんな中思わぬチャンスに遭遇することになりました。当時JBLに所属していたOSGフェニックス東三河(現bjリーグ・浜松東三河フェニックス)が翌シーズンからJBLを退会する見通しとなり、その空いた枠に対して新たに新規参入チームの公募が行われることになったのです。当初は3年以内の昇格を目指していたので正直この時点での昇格は時期尚早かと悩みましたが、常に目指すバーを高く設定することがチームの成長につながると考え、再びJBL参入に向けて申請することを決意しました。今回の審査では、メインスポンサーによる経営基盤の安定性や、何より地域での社会貢献活動や行政との良好な関係構築という点が評価をされ、まだJBL2が開幕する前の昨年9月に翌シーズンからのJBL昇格が承認されました。特に昇格に際してJBL2における成績や順位の基準は設定されなかったのですが、「プレーオフにも出場せずに昇格することはみっともない」という雰囲気の中、「せっかくならJBL2で優勝して昇格しよう」と選手やスタッフの気持ちがひとつになり、11月からのJBL2レギュラーシーズンに挑んでゆきました。最初は順調に勝ち進んだのですが、その後強豪チームとの対戦にはことごとく敗れ、リーグ戦の前半を3位という成績で折り返しました。後半戦からは新たな選手を迎え入れるなどチームの再強化を断行。選手の高いモチベーションが成果に結びつくという好循環にも恵まれ、設立初年度のチームとしては快挙といえるリーグ優勝を成し遂げることができ、「JBL2で優勝してJBLに昇格」という称号を晴れて得ることができました。今思えば「チーム名の意味にこだわったこと」や「チーム名を考える過程で自分達の存在意義や目指す姿を皆で共有したこと」が、実はチームが大きく成長できた要因だったのではないかと感じています。

 今シーズンは、かつて能代工業高校の監督として25回の全国制覇を成し遂げた加藤三彦氏をヘッドコーチに迎え、また川村卓也や伊藤俊亮といった日本代表経験のある有力選手も入団。チーム名はネーミングライツの導入により「リンク栃木ブレックス」に改名し、まさに新生ブレックスとしてJBLの初陣に挑みます。次回は「ステークホルダーのモチベーションマネジメント」と題して、リンク栃木ブレックスの実際の取り組みなどについてご紹介したいと思います。

[経歴]
1970年東京都生まれ。1993年慶應義塾大学経済学部卒。大学時は体育会アメリカンフットボール部に所属し4年時に学生日本代表に選出される。卒業後は株式会社リクルートに入社、人材総合サービス事業にて営業職、企画職、組織人事コンサルタント職を歴任。同社のアメフトチームであったリクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)に所属し、1996年度と1998年度に日本選手権(ライスボウル)優勝。2000年に同社を退職後は同チームのアシスタントゼネラルマネジャー兼オフェンスコーチとしてチームの独立事業化を推進し2003年に退任。2005年より株式会社リンクアンドモチベーション・スポーツマネジメント事業部長を務め、プロ野球やJリーグなどのスポーツ組織のコンサルティングに従事し実績多数。2007年1月リンク栃木ブレックスの運営会社である株式会社ドリームチームエンターテインメント栃木・代表取締役社長就任。現在、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科スポーツ経営論講師、作新学院大学経営学部スポーツマネジメント論講師、早稲田大学スポーツビジネス研究所客員研究員、(財)日本体育協会指導者育成専門委員、(財)日本サッカー協会スポーツマネジャーズカレッジ委員、栃木県バスケットボール協会参与なども務める。

[著書]
「やる気と成果が出る最強チームの成功法則(東洋経済新報社)」
「すぐわかるアメリカンフットボール(成美堂出版)」
「スポーツ産業論(共著・杏林書院)」(共著)