日本ソフトボールリーグ

2013-5-2

いまはソフトがめちゃくちゃ楽しい!

 4月20日(土)、女子ソフトボールリーグが開幕しました。11月の決勝トーナメントまで全国各地での長い闘いが続きます。JTLは開幕前のルネサスエレクトロニクス高崎エスポワール寮にて、練習後のリラックスした雰囲気の中で、上野由岐子選手にお話を伺いました。後編では、宇津木麗華監督への思い、モチベーションの変遷など、上野選手の熱いハートに迫ります。

Q : 宇津木麗華監督と出会った頃、「こんなに『適当』なのにすごいプレイができるのはなぜ?」と思われたそうですね。上野さんにとっての麗華監督についてお話いただけますか?

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A:麗華監督と出会った当時、自分はまだ何も知らない新人で、ただがむしゃらにやるばかりで、見抜く力もありませんでしたから、麗華監督を見て「こんなに『適当』なのになぜいいプレイができてしまうんだろう」と不思議でした。でもそれは、ちょっと力を抜いてもできてしまうだけの積み重ねがあるから。やるべきことをやり、集中しているからできるんですよ。今はそれがわかります。多分、あの頃思った「『適当』でもできる」麗華監督が、今の自分なんですよね。

 でも麗華監督が選手だった頃、会話はあまりありませんでした。投手としてアドバイスをいただいても、よくわからなくて、でもその通りやってみるとうまくいく、という程度でしたね。「この人すごい!」と思ったのは(麗華監督が)監督になってからです。自分がエースになり監督と話をする機会が増えてから、「こんなことまで考えているんだ、だからすごかったんだ」ということがよくわかりました。麗華監督のそばでソフトボールができて良かったと思いました。

 ミーティングでも感じますが、麗華監督の考え方は自分たちの中で一番日本人らしいんです。和や思いやりを重視して、私たちが気づかないことを指摘してくれます。そうしたことをないがしろにしている私たちの方が恥ずかしくなってしまう。中国には上下関係がないと言われますが、日本でこれだけの目配り、気配りができることはすごいですよ。見習わなければならないと思います。麗華監督の存在は大きいです。

 でも残念なことに、若い子たちにとって麗華監督の存在が当たり前になってしまっているんですよ。だから気づけないことも多いんでしょうけど、彼女たちに大事にしてほしいことはたくさんあります。自分たちが彼女たちにそれを気づかせなければいけないし、改めなければならないことも多いです。

Q : 北京オリンピックでも麗華監督のもとで戦ったわけですが、アテネオリンピックの後、モチベーションが下がった時期があったそうですね。

A:アテネが終わって2年ぐらいは何をどうしていいかわからなかったんです。ベテラン選手が辞めて、自分へのプレッシャーや背負わなければいけないことばかりで、投げ出す寸前でした。そんな時にアメリカのソフトボールキャンプに参加したんですが、技術面だけでなく気持ちがすごく変わりました。アメリカの大きさ、広さ、懐の深さを感じて、自分がちっぽけに見えて、なぜこんなつまんないことで悩んでいたんだ、と。これは大きかったですね。だから変われたんです。絶対に逃げない、腹くくってやろうと思えるようになれました。

 アメリカの環境をこの目で見て、ビジネスとしての考え方にも触れることができて、だから強いんだと思いました。日本ではとてもめぐまれた環境でソフトボールをやらせてもらっていますが、アメリカは這ってでも、相手を引き摺り下ろしてでも、という厳しさがあるんです。空洞になっていたところがパシッと収まった感じがしましたね。

 でもそばに麗華監督がいたからアメリカに行けたんです。世界一になるための道を作ってくれたんですよね。駆け引きのイロハ、ここ一番の冷静な判断も手取り足取り教えてくれました。それが北京オリンピックの金メダルや今の自分につながっていると思います。

Q : 北京オリンピック後に、ソフトボールがオリンピック競技から除外されたわけですが、その後のモチベーションをどのようにキープされたのですか?

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A:北京の後はいわゆる燃え尽き症候群で、何のためにやっているのかもわからないまま、ただソフトをして過ごしているだけの日々が続きました。それが苦しかったですね。アテネから北京までの日々も二度と味わいたくないぐらい辛かったですが、北京が終わって目標をなくした2,3年はもう抜け殻でした。投げたくないけど投げなきゃいけないから投げてる。本当にソフトがしたいんだろうかという葛藤が続きました。

 でも昨年の世界選手権は麗華さんが監督になったので、勝って恩返ししたいと思ったんです。今度は自分が、北京で世界一に押し上げてくれた彼女を世界一にする番だと。もちろん彼女のためだけではなく、勝たなければオリンピック競技復帰のアピールができないと思ったので、アメリカに勝たせるわけにはいかないと思いました。その気持ちがモチベーションになりました。正直、自分でもあそこまで投げられたのは意外でした。気持ちが身体を動かしたんですね。これで恩返しができたかなと思います。

 今は、自分のため、ただ勝つため、ではなく、人のため、まわりのためだけにソフトに取り組んでます。とにかくチームが勝つこと、若い子が結果を出すこと、もう一度日本一になること、そのためならがんばれると思うようになりました。自分がゼロで押さえるとか三振取るとか打たれたとか、全然気にならなくなった。だからすごく気持ちが楽なんです。そんなことよりも誰かのためにがんばれる自分がいて、それがモチベーションになってがんばれる自分がいる。時にはノックを受けてみたりして、今はめちゃくちゃソフトを楽しんでいるんですよ。

Q : 上野さんが麗華監督の立場にだんだん近づいているように思えるんですが、ご自分ではどう思われますか?

A:確かに、昔の麗華監督の立場になっているかもしれませんね。同じ道、ですか?どうでしょうね。麗華監督は望んでいますが、監督になりたいと強く思っているわけではないし。ただ、ソフトに携わるのは自分の使命だとは思ってますね。自分の意志ではないところでその道が決まっているのかなと思うことがよくあります。やめられるだけの準備もできているし、やりきった思いもありますが、チームで必要とされているからまだやめられない。やめちゃいけない運命、やめられない運命になってるんだな、と思うことがありますよ。自分の人生なのにな、と思うところはありますが、やっぱりソフトは好きだし携わって行きたいです。

Q : ここで少し話題を変えましょう。上野さんの食生活についてお話いただけますか?

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A:実は私、食べるのが得意な子じゃなかったんですよ。魚、わかめ、酢の物、揚げ物も嫌いで、中学の時はご飯なんか食べる必要ない、なんて思ってました。そのせいで貧血になって、朝も弱かったので、母親が色々工夫して食べさせてくれました。母が看護師で健康管理に関しては信頼できたので、社会人になるまで、食生活は100%母親に頼りっきりでした。母親の言うことを聴いていれば大丈夫と思って、嫌でも食べてました。感謝ですね。

 この寮に入った頃は、残しちゃいけないとか、ご飯は2杯とか厳しいルールがあって、嫌いなものも出てくるので、朝ご飯に1時間ぐらいかかることもあったんですよ。でもおかげで今は何でも食べられるようになったし、アテネで体調を崩して心配かけたことをきっかけに、栄養素や食のことをすごく勉強しました。知識は重要ですよ。いくら予防しても風邪をひく時はひくんです。だけどそうなっても対応できるだけの自分自身を知っていなくてはいけない。何を食べるとどうなるか、自分にとっては何がいいか、それを考えるようになって病気も怪我もしなくなりました。コンディショニングは大事ですね。

Q : 最後に、2020年の自分はどうありたいと思っていらっしゃいますか?

A:最近は先のことをあまり考えていないので、今日どれだけ満足できたかどうか、もしも今ここで怪我をしても悔いのないソフトボール生活にしようと思っています。だから2020年にどうなっているか想像がつきませんね。選手でいられれば嬉しいですけど、そこまで選手でいたいと思っているわけではないですし。オリンピックに復帰してほしいし、代表で出られたらいいなとも思いますが、先のことは誰にもわかりませんからね。そんなことよりも、今は少しでも長く選手でいられるように毎日一生懸命暮らしていこうと思ってます。その中でチームとしての目標があったり、選手たちを伸ばすメニューを考えたりしていますが、とても充実していますよ。これまで、いやなこともやめたいこともたくさんありましたけど、今はとても楽しいです。自分が生きてきた30年に後悔はまったくないです。

 でももしかしたらこの先、自分の気持ちを大きく変える何かに出会うかもしれませんしね。2020年は結婚してるかもしれませんよ。私の目標は国際結婚ですから(笑)。

◎同じ職場の方がソフトボール部の公式サイトで「イケメン」とおっしゃっていた通り、とても気さくでかっこいい上野さん。1時間半という長い時間、質問に答えて下さり、本当にありがとうございました。今後のご健闘と良き出会いをお祈りしています!

上野由岐子選手 プロフィール

ルネサスエレクトロニクス高崎 女子ソフトボール部 公式サイト

日本ソフトボール協会 公式サイト