トップアスリートに聞く食事学 Vol.22


2010/11/09




河谷 彰子

金子 正子(かねこ まさこ)

1944年4月12日生
東京都北区出身
東京シンクロクラブにてシンクロ選手として活動(1960〜1967年)。
東京家政学院を卒業後(1967年)、東京シンクロクラブのコーチに就任。
その後、(財)日本水泳連盟シンクロ強化部長(1980〜1996年)。
(財)日本水泳連盟初の女性理事・シンクロ委員長(1997〜2008年)。
ロサンゼルスオリンピック(1984年)から北京オリンピック(2008年)まで、ナショナルチームを牽引。世界選手権・ワールドカップ等、数々の世界大会でヘッドコーチや監督を務め、小谷実可子をはじめ多くのメダリストを育成した。
現在はナショナルチームの強化アドバイザー。
さらに、東京シンクロクラブにて監督として指導を行なっている。
文部大臣スポーツ功労賞・都民文化栄誉賞・エイボンスポーツ賞(1989年)・IOC女性スポーツオーダー賞など受賞多数。

財団法人 日本水泳連盟ホームページ:http://www.swim.or.jp/index.html
東京シンクロクラブオフィシャルwebサイト:http://www.tokyo-synchro.com/

 シンクロは美しさ・力強さを競うから数字では表しにくい競技。
 だからこそ、心理作戦が大切であり、コーチは選手への精神的なフォローが重要になってくる。実際にあったお話しを交え、選手とコーチの信頼感の大切さをお話しいただきました。時には厳しく、時には熱く、選手と共に笑ったり泣いたり心の交流を大切にしていらっしゃるのではないかと感じさせるお話しを伺うことが出来ました。


1.見栄えが大切なスポーツだから炭水化物を多く食べて体重を気にする。

 シンクロは見栄えが大切なスポーツです。しかも良い具合の筋肉がついていないといけない。選手によってバランスが良い体格は少しずつ異なるので、身長に対して体重はどの位ということはありませんが、167〜8cmの身長なら57〜8kg位でしょうか。
 選手によって太りやすさに違いがあるんですよね。だから代謝が良くないのか、太りやすい選手は1日2,000kcal弱で抑えないといけないこともあります。一方で細くて太らなければならない選手は4,800kcalも食べないといけないこともあるんです。

 午前中の練習だけで1㎏痩せてしまうこともあるので、そういう場合はとにかく食べるようにしています。ご飯だけじゃなくってパスタ・うどん、さらにおにぎり2個と炭水化物の種類を多くしていっぱい食べることでエネルギー量を増やしていくんです。

 起床時・3食の前後・トレーニング前後と常に体重計とにらめっこです。これは、選手自身に自覚を持たせるために体重計に乗らせているという意味もあります。ナショナルチームでは、体重測定の結果を表につけて壁に貼っているんです。中には、体重が上手にコントロールできない選手もいます。そういう選手は動きも良くないし、色々な事に対する考え方も違うように感じています。

 ほとんどの選手がたくさん食べないといけないので、昔はよくバナナを食べていましたよ。選手が泊まっている部屋の廊下がバナナ臭かったなんてこともある位です。バナナは手っ取り早くエネルギーを補給できる食べ物だから、練習の合間に食べていました。
 今は3食の合間に補食として和菓子カステラお餅なんかを食べています。海外遠征の時には携帯食品として日本からお餅を必ず持っていきますよ。

 朝は茹でたお餅にお醤油つけて直ぐに海苔をつければ、お昼頃まで美味しく柔かいまま食べられるから便利ですよね。宿舎だったら、ハチミツときな粉をつけて食べたりします。
 レトルトのお米を持っていくこともあります。たくさんの量だと持っていくこと自体も大変ですが、さらに重量オーバーで飛行機の運賃に随分とお金がかかってしまったなんてこともあるんですよね。


 海外に行く際は、事前に調査をしに行って、泊まるホテルのシェフと打合せをしておいたり、どこにスーパーがあるのか・お米がどこに売られているのか・どこで売っているお米が美味しいのかなどを調べたり、聞いたり、試食したりしておきます。そして行く国に合った電圧の炊飯器をあらかじめ日本で購入して行ったりします。
 食の環境さえ整っていたら、海外でも安心して競技に集中できますよね

河谷のコメント:
 厳しいトレーニングをしているのに2,000kcalほどしか食べることができない選手がいらっしゃると伺い、大変驚きました。そして見栄えが大切な種目だけに、体重チェックを欠かせないというのはその通りですね。
 体重測定の結果をグラフにしている方法は、横浜FCでも実行しています。
 全選手の結果が載っているグラフ表を1枚にまとめておくことで、選手はまず自分の体重をチェックし、それから自分が気になっている選手の体重をチェックしている様子をよく目にします。アスリート魂をくすぐると言うか、競争心をくすぐって自己管理能力を高めて欲しいというのが狙いです。
 海外での食環境整備は、本当に大変ですよね。
 国よって状況は異なりますし、ホテルによって提供されるメニューの傾向も異なります。普段と変わらない食環境に整えると一言で言うのは簡単ですが、これがなかなか大変なんですよね。それを金子さん自らが実施されているということに驚いたと共に、それほど食の環境を大切にしているんだということが伝わってくるエピソードだと感じました。

2.おにぎりとハチミツレモンは、選手との絆かな。

 遠征先では朝5時からご飯を1升と炊いて〝ゆかり〟とか〝シャケフレーク〟を混ぜておにぎりを私が作って補食として持って行くんです。

 ハチミツレモンも作るんですよ。夜の内に4個位レモンをダーっとスライスして、ハチミツに一晩漬け込んでおくんです。選手が疲れた時なんかに食べてもらおうかと思って。夜に選手が『お願いしま〜す。』と言って、空になった入れ物を持ってくるんです。選手が〝ハチミツレモンを食べると元気になれる〟とおまじないのようにして食べてくれるんです。これも選手とコーチとの絆かなって思うんですよね。

 食が細い選手も中にはいます。そういう選手には『食が太くなるのは、本人の努力次第!』と伝えてありますから、普段から時間をかけてでも食べてもらうようにしています。そして『だんだん皆と同じペースで十分な量を食べられるようにならないといけないよね。』とも伝えています。

 若いコーチには、こういう子供達が少しでもご飯が進むように〝ご飯に温泉卵を混ぜたり、ご飯に豆腐を崩して混ぜて、ゴマや醤油を混ぜたりすると良い〟等とアドバイスをしています。ご飯とおかずと別々に食べるより食べやすいですから。選手にアドバイスする際にはコーチの言い方も重要です。言い方次第では、選手にとって食事が精神的に負担になってしまう場合もあります。なるべく食事は楽しんで取り組んで欲しいなと思っています。

 選手を食べることに集中させるより“大好きなシンクロをより強くなるために食事をしっかり食べよう!”という気持ちに選手自身が向かうよう、そして喜んで行動するようにコーチが仕向けてあげないといけませんよね。
 『そんなに食べないで、選手としてどうなの?』というような否定的な言い方や人間否定をして選手のプライドを傷つけるようなことをしちゃいけないですよ。

 試合前のプレッシャーから食べられなくなってしまう選手もいます。

 そういう場合は子供を直接指導しているコーチに『本当は良くないけど、食べやすいように今日は食パンの耳は取って柔かい部分だけをハチミツなんかをつけて食べさせなさい。ゆっくり時間をかけてでも良いから。耳は焼いて、食べられる時やおやつに食べれば良いよ。明日の試合に向けて、エネルギーを補給して欲しいから1枚半は食べて欲しいと伝えるんだよ。』とアドバイスしています。
 “そんなのわがままな!”だと言う方もいらっしゃるでしょうが、試合目前ですもの。とにかく明日の試合に向けてエネルギー補給をすることが大切ですものね。

 そして、食べることを積極的に勧めたい選手には『シンクロ続けたいんでしょ。あなたは綺麗だよ。でも今より肉がついたら、どれだけ綺麗になることか。あなたが本気で夢を叶えたいと思ったら、もっと食べようと自分自身努力できるんじゃないかな。』と伝えました。
 分かってもらうには時間がかかることかもしれないけど、食事で選手を傷つけたくはないですよね。分かってもらえれば、コーチがいなくても、自分のためにと実行してくれますよね。

河谷のコメント:
 おにぎりって良いですよね。やはり、ここぞ!という時には、手作りおにぎりが良いと感じます。私にとって、母の手作りおにぎりは他の誰にも真似できない美味しさです。金子さんの作ったおにぎりを選手の方々が食べることで、補食としてのエネルギー補給としての役割以外に、おにぎりの後ろに見え隠れする金子さんの姿を思い出しながら、心のエネルギーをもらっていたいのではないでしょうか。
 アスリートとしての食事の前に人としての食事がある。つまり栄養を満たすための食事も勿論大切ですが、その前に食欲を満たすための食事、本能を満たすための食事が欠けていてはいけませんよね。
 アドバイスしたらしただけ選手が変わってくれれば良いですが、そうはいきません。選手にその気になってもらえるようにアドバイスしてあげたいと私は考えています。時間はかかるかもしれないけど・・・という金子さんの意見に賛成です。

3.指導者の役割は〝選手の筋肉に魂を吹き込むこと〟

 シンクロは、ボールゲームのように点数で勝利が決まる競技ではないし、速さを競う競技でもない。採点競技ですから、エネルギッシュな強い見せ方が大事なんです。それが1つ崩れ出すと“日本は良くない。”“日本は強くなくなった”等と審査員皆の印象が崩れる。そうやって国としてのシンクロのイメージが落ちてしまうということは、これまでいっぱいあるんです。勿論、実力も落ちているんですけど、実力とそのスコアの表れ方は紙一重なところがありますよね。

 コーチには経験も大切。40年以上コーチをしていますが、若い頃の座右の銘は〝一生懸命〟〝精神誠意〟でした。一生懸命やっていたら、必ず報われると思っていた。そのようにやり続けてきて結果的には良かったんですが、ベテランのコーチになったら、それだけではなく〝選手にどれだけ魂を入れて世界の舞台に立たせることができるか〟が大切になってくるし、それが指導者の役割だと思うようになった。
 魂を入れてあげれば、最高のパフォーマンスを発揮することができる。選手が大きな気持ちで、執念とか執着心、そして勝ちにこだわって大きな仕事をするために、精神力だけではなく選手の筋肉そのものに魂が入るような見せ方をしないといけない。そうでないとコーチから『頑張って』『大丈夫よ。』と言われても、選手は緊張するだけで、最高のパフォーマンスが発揮できないんじゃない?

 選手達を『あんたたち、行ける行ける!』と持ち上げて見送ったら、選手に後から『先生に持ち上げられて、天まで昇るような気持ちで試合に出ちゃいました。』って選手に言われたことがあります。そう言ってもらえることが、コーチとして嬉しいです。こういう風に思えるようになったのには、それなりの私の歴史があります。

 26・27歳の頃、アメリカにコーチとして遠征したんですけれども、アメリカ国内大会の予選にも残ることが出来なかった。『日本人は手足が細いし、膝小僧も出ている。でも良いじゃない!全員揃って脚が曲がっているわよ。』なんてアメリカ人に言われて悔しい思いをしたことがあります。

 その時“シンクロは日本人には向かないスポーツなのかな?”と思いながらも“いつか、この人達と肩を並べて同じ土俵で戦える位に強くなりたい!”って思っていました。それには〝デッカイ〟と言われるような身体を作って、いつか蘇って、その場所で戦えるような選手を育てたいなと考えながら、選手を育てていました。この初遠征で、このような屈辱感のどん底の気持ちを味わうと共に、指導者としての大きな目標を得て帰ってきたように思います。多分それが今までコーチを辞めずに勝ちにこだわってずっと頑張れている理由のように思います。

 身体を作らなくっちゃ・筋肉を作らなくっちゃ・テクニックを磨かなくっちゃ・海外に習うばかりでなく海外の底力を見せてもらって、それを自分達のものにしていかなくっちゃ等と、とにかく必死でした。そうしていく中で、勝てることも勝てないこともありました。でも、オリンピックは勝たなければ出る意味が無いって思っていました。だから勝ちには本当にこだわって、そのために選手を叱咤激励していました。

 このような様々な経験を積んだコーチ陣がいたから、日本は強かったのかもしれない。そして、今の若いコーチ陣には、そういう経験が少ないから最近の成績が落ちてきてしまっているのかもしれない。このような経験はもう少し、新旧が一緒になって、きちっと継承していかなければいけなかったかもしれない。そうすれば、もっとコーチ達が怯えずに戦えるのかもしれない。だから新旧をガラッと入れ替えるのは、経験が無い分、リスクが大きいのではないでしょうか。

 『頑張って!』というのは、誰でも言える。『しっかりメダルを獲ってくるのよ!』って言うのは当たり前のこと。選手は皆メダルを獲りたいし、そのために一生懸命になっている。そういう中でメダルを獲得する選手というのは、もっと確実な思いを持っている。皆がメダルを獲りに行くために、技術を磨き・身体を仕上げと一つずつ仕上げてくる。そして、さらに勝ちにこだわった魂を込めてあげるこれが指導者の情熱じゃないでしょうか?


 メダルを期待されてプレッシャーに押しつぶされそうな選手もいるでしょう。そういう選手に自信を持って試合に望めるようにしてあげることが大切なんじゃないかと思うんですよ。そして、魂をいつ込めるかというのがコーチの手腕だと思うんです。

 だから、選手を試合に送り出す時は『行けるよ〜!』と言って送り出すのか、気合を入れて肩をパ〜ンと叩くのか等と考えています。北京オリンピックでは、私の妹分でもあった井村コーチが中国のナショナルコーチだった。言わば、日本の情報や戦略が中国側に伝わっているであろう状況で、日本の選手の動揺は大きかったんです。だから、どうやって送り出すかを色々と考えていました。

 たまたま、中国と日本が同じグループになってしまったんです。私的にはラッキーと思いましたけど、選手の動揺はさらに大きくなっていたんです。スペインも同じグループだったんですが、スペインチームにも私の教え子がコーチにおりましたので『日本とスペインで15分の最終の合同練習をしないか。』と申し込んだんです。喜んで引き受けてくれて、1分ずつに音楽も区切ってスペインと日本で練習をすることにしたんです。選手達は、そういう練習をする中で、私の思いを感じ取ってくれるだろうと思っていましたし、緊張で青白くこわばってしまった顔の血色が良くなるだろうし、輝くだろうし、やる気も上がって選手を蘇らせようと考えたんです。この練習は、予想通り選手にとって良い結果となりました。上手に競争心をあおって、スペインの勢いの良さに引きづられたんです。
 練習中、私は『良いよ〜!素晴らしいよ〜!』『天井に突き抜けるほど、もっと脚を高く上げてみなさ〜い。』『上がってるよ〜。もっともっと!』なんて言っていました。今になって選手達は言うんですが『良いよ〜!スケール感があって良いよ〜!あんた達輝いているよ〜ばかり言ってくれるから、私達どんどん気持ちも上がって、そのまま試合に出ちゃいましたよ。』って。
 私が考えていたことは“どうやったら、選手の身体が光輝くか。それをどのようにして引き出すか。”ということをコーチとして考えていただけ。この最終練習は作戦通り、大成功でした。
 このような様子を見ていた中国選手は、気もそぞろになっちゃいますよね。これも作戦どうり。
 これも魂を入れる方法の一つかもしれませんよね。

 オリンピック直前の2ヶ月前に、突然デュエットの音楽を変えて周りを驚かせてしまったこともあります。
 勝つためを考えたら、それまで練習してきた音楽に行き詰まりを感じたのです。そのため音楽を変えることにしたんです。選手が自信を持って演技ができるためにやったこと。『見違えるように良くなったね。』と言われるようにしてあげたいじゃない。

 選手も音楽を変えることに初めは心配そうだったんですが『あなた達で好きな音楽を選んで作ってみなさい。』と言ったら、最終的に選手達は嬉しそうに『自分達で作ってみました!』と言っていました。こうして、選手達には曲に思い入れを持たせることができたんです。案の定“見違えるように選手達が良くなった!”“表情が良くなった!”と審判の方々にも好評を得ることができました。選手達が“これでやりたい!”という気持ちにさせる。これも心理作戦ですね。

 こんな大胆な事ができるようになったのも、私達がこれまで勝ったり負けたり、嫌な思いをしたりと、色々な経験を乗り越えてきたから。その結果、したたかな戦いができるようになったんだと思います。そういうことも今の若いコーチには伝えていかなければいけないでしょうね。
 シンクロのような競技は、正直にそして一生懸命戦っているだけではいけない。一生懸命の価値観も勿論大事ですけど、それを超えた力を発揮しなければいけない。

 指導者の一生懸命を超えた情熱・燃えている姿を選手に見せていれば、選手は“コーチについて行こう!”と思わせることができるんじゃないでしょうか。このようなパッションが大切だと思う。技術的な事だけでは勝てないでしょう。パッションを持っていることはコーチにとって当たり前だと思っていたんですが、最近の若いコーチを見てパッションの大切さをつくづくと感じます。
 今コーチになっている方々は選手時代に私の姿を見て“何であんなにやっているの?”“もっと合理的な方法でやったって、勝てるのに。”と思っていたかもしれない。そういう選手がコーチになって、異なる方法でコーチングをしてきたことが、メダルを獲れなくなってしまった最初のつまづきかもしれない。合理的なことや医科学的な事は勿論大切。でも、人間の眼力で採点される競技ですから、そういう科学的な根拠の上に人間を動かしていく強さがないといけないと思っています。

河谷のコメント:
 人に何かを伝えるということは難しいと痛感します。
 選手の心に響くコーチングが、コーチと選手の信頼感につながり、選手が持っている実力を十分に発揮させる。もしくはそれ以上のパフォーマンスを発揮できるかどうかにつながるようにも感じます。私も勉強中です。金子さんのお話しを伺っていると、心理作戦のバリエーションの多さに驚きました。是非学びたいと思いました。

4.コーチは選手からコーチ学を学ぶ。

 後から選手に教えてもらったんですが、私の表情・声がけ・姿勢・意気込みなど色々な事が選手を励ましたり頑張ろうとする気持ちを後押ししていたり、選手の力になっていたんだそうです。きっと選手が感じたこういうことがコーチ学なんだと思うんです。結局、私は選手から教えてもらったし、気づかされたんですよね。

 ある国際大会の練習で、各国のコーチが怖い顔で日本チームを見学していたんですね。選手は『各国のコーチの様子を見て緊張したけど、金子先生の顔を探して見たら“どこにも負けないわよ!”というような、どこの国にも負けない意気込みのある顔をしていたから“私達、負けないわ!”って思ったんです。』って言われたこともあります。

 選手をたまに呼び出して怒ることがあるんですが、私が涙をためて怒る姿に選手は心の中で“分かっているんです。”って思うらしいんです。私自身、本当は毅然として怒りたいんですけどね。選手は〝私の涙が怖い〟とある取材で言ったことがあります。私の怒っている姿に選手自身が〝自分達を勝たせてくれようとしているから怒っているんだ。〟と伝わるらしいんです。そして“先生、ごめんなさい。”って思うんだそうです。

 コーチングのタイミングを図るためにも、全ての選手を常にじっと観察していないといけないんです。才能のある選手もそうでもない選手もいます。でも才能があるからと言って、優秀な選手として花開くとはかぎらない。自分の才能に甘んじてつまづく事だってあるし、プレッシャーに押しつぶされてしまうことだってある。才能が無い選手は、自分の魅力を磨いて花開くこともあるし、人の何倍も一生懸命練習して花開くこともある。コーチはそういう子、それぞれを注意深く見ていってあげる必要があるように思う。
 アクシデントが起こった時に、どのようにして立ち直らせてあげるのかというのが、コーチの役目じゃないでしょうか。選手は、アクシデントを経験して乗り越えることで、肉体的にも精神的にもドンドン強くなっていくんですよ。心技体と言いますが、心と体がついてこそ技は最後についてくる

 選手とコーチが一緒になって、乗り越えることが大切。そういう中で、コーチは選手からコーチ学を学ぶんでしょう。そして、次へ活かすことができる。
 こういう経験を今の新しい若いコーチが身に付けていって欲しい。そうすれば、あと2〜3年後のシンクロはまた新しい道が開けると思う。コーチは厳しいだけではいけない。そうでないと選手は裏表ができてしまう。そうならないようにするために、コーチは自分自身のオンとオフを見せてあげるのも一つの方法よね。

 選手にとってコーチは小さい頃からずっと毎日毎日会う人だから、いっつもうるさく言われていたら嫌じゃないですか。だから、厳しくない一面を見せることだって大切。全てが完璧な人間なんていない。だから、プライベートの顔だって見せることも大切なんじゃない。私はそうありたいなって思っています。ここぞ!というときに、任せておきなさい!と言えるコーチでありたい。選手に信頼されるコーチでありたい。
 痩せるのも太るのも選手と一緒になって考えていくことだって大切な時がある。選手がどうしようと思っているときに、一緒に考えて乗り越えてあげられるコーチでありたい。そうしていれば、選手はコーチを信頼してくれるって思っています。選手はコーチにつくんです。人間を動かすのは人間ですからね。そこがスポーツの面白さでもありますよ。

河谷のコメント:
 選手はコーチにつく。人間を動かすのは人間。
 非常に重い言葉だなと思いました。
 ふと思い出した出来事がありました。シーズン切り替えの選手が契約更新の時期に、ある選手が監督に『監督の方針を教えてください。それによって更新を考えたいと思います。』と電話があったそうです。結局、その選手は監督の方針に賛同し、契約を更新することにしたのですが、選手は指導者・コーチにつく。まさにその通りですね。

5.実可子との宝物の話。

 (小谷)実可子は、元々気が小さい選手だったんです。1988年9月2日、ソウルオリンピックに向けて、日本で最終練習をしていた時、実可子は色々な方からのアドバイスを受けすぎて、倒れそうになってしまったんですね。ソウルでテクニックを直すこともできるけど、このままだといけないから私がここで直してしまおうと思ったんです。初めは、プールサイドに立って直していたんですが、一生懸命になっているうちに、プールサイドから上半身を突っ込んでコーチをしていたんです。そうしているうちに実可子はワーっと泣いてしまったんです。私は『もう直ったから大丈夫だよ!ソウルに行ってからも修正するからね。』って言ったんです。

 実可子はそれまで大会前になると鳩のように目がポーっとしていたんですが、ソウルの時はキャピキャピしていたんです。井村コーチが『実可子、そろそろ気が触れてきたんじゃないですか…。いつもと様子が違いますよ。』と言った位。そうしたら実可子が『先生♪私試合に出たくてしょうがないんです。』って。『スゴイじゃない!』と返すと、『カムサムミダ♪』なんて冗談まで返してくれちゃって。

 後日、実可子から『先生、あの9月2日のことは一生忘れません。時間がないところ、先生はプールサイドから上半身を水に入れて目を真っ赤にして、洋服も髪の毛もビショビショになりながらタコ入道のように教えてくれた。そうしているうちに、私は羊水の中で泳いでいる感覚になりました。初めは先生の姿にビックリしたけど、先生が息をアップアップさせながら教えてくれている姿を見ていたら、突然涙が出てきてしまったんです。私は一人で戦うつもりでいたけど、このコーチは私に絶対メダルを獲らせてくれるなって、衝撃的にその時思ったんです。それからオリンピックまで、金子コーチと私が一生懸命練習している姿を木の上から見ているような気分になって“スポーツって面白いな”とその時初めて思いました。毎日そのことを日誌につけていたら、ちっともオリンピックが来るのが怖くなくなっていたんです。』って言っていました。
 これは、私にとって宝物のような話です。

 私はただ一生懸命にやっただけなんですけど、その一生懸命さや真剣な取り組みが選手のかたくなな気持ちをも動かしたんだと思うんですよね。この経験を通じて、コーチとしてあるべき姿を教えてもらったかな〜って思っています。私自身は体育の学校の出身でもありませんので、コーチ学全てを色々な選手から教えてもらって育ててもらったのかなと思っています。

 長いこと選手とコーチは付き合っていかなければならないので、選手が後から振り返ってみて“青春時代、色々なことがあったけど、あの先生といい時間を過ごすことができたな〜”と思ってくれれば、コーチとしてこれほど嬉しいことは無いですよね。

 そして家庭があるにもかかわらず、こうやって頑張ってこれたのは、母や旦那を始めとする家族の支えがあったからです。家族への感謝を伝える意味でも、選手の活躍は家族の喜びです。

河谷のコメント:
 〝私は一人で戦うつもりだった〟という言葉に、思わず私は胸が熱くなってしまいました。
 アスリートを支える者として“選手と一緒に戦っているだろうか?”と振り返ると共に、“私は選手と一緒に戦っているつもりだけど、選手はどのように感じているのだろうか?”とふと考えてしまいました。皆さんはいかがでしょうか?

 指導者のあり方、選手との関わり方を見直すべきではないかということを感じさせるお話しをたくさん伺う事が出来ました。
 アスリートとして勝つことが大切。指導者として勝たせることが大切。ただ、その過程には多くの心理作戦や愛情溢れる心の交流が重要になってくると感じました。
 金子さんのように、選手に対するたくさんの愛情と情熱を感じることができるよう、私も努めたいと思いました。ありがとうございました。


河谷 彰子(かわたに あきこ)

株式会社レオックジャパン スポーツ事業担当 管理栄養士

〔経歴〕

1995年日本女子大学家政学部食物学科管理栄養士専攻卒業

1997年筑波大学大学院体育研究科コーチ学専攻卒業

1997〜2006年3月株式会社タラソシステムジャパン入社
(海水中・陸上での運動指導や栄養カウンセリング、食サービスの提案を実施)

2006年4月〜株式会社レオック関東入社 同年9月にレオックジャパンに転籍
横浜FC栄養アドバイザー・横浜FCユース栄養アドバイザー
その他、YMCA社会体育専門学校にてアスレチックトレーナー育成講座『スポーツ栄養学』講師・慶応大学非常勤講師・さくら整形外科クリニックにて栄養相談などを行なう。

以下のコラムを担当しております。