日の丸戦士へ、語学学習のススメ

下山田 郁夫
しもやまだ いくお
1965年3月、福島県いわき市生まれ。88年読売新聞社入社。盛岡支局、地方部編成を経て運動部。プロ野球担当、サッカー担当、冬季スポーツ担当、国際部、ロサンゼルス支局駐在等を経て現在、体協JOC・北京五輪担当キャップ。磐城高時代は野球部で投手。立教大時代は軽音楽サークルでドラマー。


 40を過ぎてこんなに熱中できる趣味ができるとは思わなかった。私の趣味は、「英会話」である。
 29歳の時に目覚め、駅前留学したが、今では社内でもいっぱしの「英語使い」として扱われる。ネイティブスピーカーで言ったらせいぜい小学6年生ぐらいと同じレベルなのだが、法律用語等、難しい会話でなければ普通に意思疎通ができる。自分なりには「よくここまでやったなあ」という感慨がある。いい趣味だと思う。
 29歳というのは、「手遅れでは」と考える方も多いだろうが、私にとっては最良のタイミングだった。社内的にある程度足場ができ、「もうこの会社で定年まで居られるな」と感じた頃だった。それまでは、正直、「他の部署に出されるのでは?」という危機意識を常に持っていたから、勉強どころではなかったのだ。三十路を目前にして、視界が開け、「何か新しいことを」と思った時にひらめいたのが「語学」だった。
 「大学時代に英会話学校に通っていれば――」とも思うが、当時は地方から出てきた貧乏学生だったので英会話どころではなかった。足場も固まって、経済的に余裕ができて――と、ある程度の条件がそろわなければ英会話学校というのはなかなか通えないものだからだ。
 実は、当時、数年後に控えた長野五輪の担当に指名されたことも大きかった。担当したノルディックスキー複合で当時、長野県選抜のコーチだった河野孝典さんは、英語と独語ができるトライリンガルだった。彼と、名寄から旭川までの移動のバスの中で交わした会話が本格的に英会話学校に通い始める決定打になった。
 「メダリストともなれば、国からエリート教育の機会をもらって語学を習得したんでしょうね?」と聞いた私に、河野さんの返事は「英語は、雑誌で宣伝している教材を買って学びました。独語は駅前留学です」。当時、彼の同僚の荻原健司さん(現参議院議員)は遠征先の海外テレビのインタビューにすらすらと答えていた。国を代表する立場にある人たちも、自分とさして変わらない環境で語学力を鍛えてきたということは、驚きとともに私に勇気をくれた。
 以後、夏は野球記者、冬はスキー記者を務める傍ら、週に1、2度程度。細々とだが、駅前留学した。ただし、往復2時間の通勤時間は、テキストに添付された会話CDを聞き、せっせと暗記した。38歳の時、駅前の学校で上から3つ目のレベルになり、トーイックのスコアも830点に到達したので、思い切って海外駐在の希望を出した。
 その後、2年半の米国在住期間も、暇があれば、米国政府が無料で提供してくれるESLと呼ばれる学校に通った。最近になって「国分寺駅前の母校」が閉鎖されてしまったので、アマチュアスポーツ取材の傍ら、英会話仲間とグループを作り、外国人講師を呼んで勉強している。
 この欄を読んでいらっしゃるのがどんな方なのかわからないが、スポーツ団体の職員の方や、引退して所属チームの裏方に回った方、地方で子供たちにスポーツを指導する立場にある方など、五輪スポーツに関わる方なら、是非とも「語学」を趣味とすることをお勧めする。理由は簡単だ。国際スポーツの舞台で、今後、日本が光栄ある立場を保つために、語学ができる人材は不可欠だからだ。
 世界の強豪と戦うためには、「国際舞台に出る」か、「強豪を日本に招く」かのどちらしかない。選手は、競技力向上にエネルギーを傾注しているのだから、なるべく周囲がサポートしなければならない。海外に遠征するにせよ、国内で大会を開いて強豪を招待するにせよ、選手の周囲に、語学ができる人間が多いに越したことはない。
 また、最近では、国際柔道連盟の理事選や、ハンドボール世界選手権での中東勢の横暴など、国際舞台での日本の各競技団体の発言力低下が問題になっている。私は、この状況を巻き返すためにまず必要なのは「外国語使い」を増やすことだと思う。相手の不当性を論破するのは「言葉」であり、他国の賛同を呼び味方を増やすのもまた「言葉」なのである。
 幸いなことに、語学の習得というのは、スポーツマンに向いている。そのプロセスが勉強ではなく、むしろスポーツに近いからだ。一度単語やフレーズを覚えても、それを当意即妙で使えるようになるには、何度も反復練習が必要だ。それは、基礎をたたき込まなければ前に進めないスポーツや楽器の演奏に非常に近いものがある。試しに、英会話学校の体験入学に行ってみればいい。その楽しさとスポーツとの類似性に驚くはずだ。
 語学の必要性は、日本スポーツ界の上層部を見てもわかる。亡くなってしまったがアマチュア野球界のドンと呼ばれた山本英一郎さんは、スペイン語を武器にラテンアメリカ諸国との間に太いパイプがあった。JOCの竹田会長は非常に洗練された美しい英語を話され、国際舞台で話される姿は報道陣が誇らしくさえ感じるほどだ。水野副会長も日本語と同じ流暢さで自在に英語を操られる名手だ。レスリング協会の福田会長が世界選手権で浜口京子への判定に抗議し堂々と英語で抗議をしたのは、テレビで何度も放送されたのでご記憶の方も多いだろう。
 あの世代の方々があれだけ話せるのだ。録音機材が発達した我々の世代はもっと話せなければいけない。さらに、私たちの世代より若い今の20代、30代は、英会話学校が身近になった世代だ。もっと頑張ってもらわなければ。
 まずは、体協、JOC内部に「英語班」「スペイン語班」「ドイツ語班」「中国語班」「韓国語班」などのサークルを作ってはどうか。その上でネイティブスピーカーを呼び、みんなで会話を楽しみながら実戦体験を積むのである。それには、選手とともに、体協、JOC自体が「戦う集団」となる気概が必要だ。(その時、できれば記者も「英語班」に入れて欲しい。まだまだ勉強の足りなさを痛感しているので)
 これから語学を始める人にひとつアドバイスしたいのは、初期投資を惜しまないことだ。私自身、英会話の勉強に50万円ほど投資したが、すっかり元をとってしまった。英会話の勉強をしている間は、飲み代があまりかからなかったし、海外駐在に連れて行った子供2人がバイリンガルになって帰国した。子供たちは今後、この能力を使って海外駐在の機会を得るだろうし、そうなれば孫もバイリンガルになる可能性が高い。語学は一度家族が修得すれば、子孫にまで代々「再生産」されることが多いようなのだ。
 語学の趣味は、私の運命を変えてしまったようにさえ思う。私にとっての30代は、充実した非常に良い10年間だった。