「国内版CAS」の意義 権利意識を高める環境を

田村 崇仁
たむら たかひと
1973年、群馬県生まれ。早大卒。96年共同通信社入社。2002年W杯まで主にサッカーをカバーし、プロ野球の近鉄、阪神担当を経て、05年からJOCや五輪競技を担当。高崎高校時代は野球部。余暇はゴルフ、子育て、サルサダンス。


 パリで大混乱となった北京五輪の聖火リレーを目の当たりにした。「チベットに自由を」―。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)が抗議行動の先頭に立ち、市民もシュプレヒコールを繰り返す。中国政府は妨害行為を「崇高な五輪精神への冒とくだ」と批判するが、開会式への欠席を表明する首脳も後を絶たず、抗議行動は収まりそうにない。
 ▽二つの紛争例
 そんな騒動を見ながら、反論や抗議を控えるのが「美徳」とされる考えがいまだ根底にある日本の風土やスポーツ界にふと思いをめぐらせた。最近のニュースで二つの気になる紛争例である。一つはJリーグ1部(J1)川崎の我那覇和樹がドーピング禁止規定違反で受けた処分の取り消しを第三者機関に求めた問題。もう一つは陸上女子千五百/メートル/の日本記録を持つ小林祐梨子(豊田自動織機)が日本実業団連合と東日本実業団連盟に選手登録を求めた問題だ。
 我那覇の場合は仲裁を委ねる機関として国内機関の日本スポーツ仲裁機構(JSAA)を要望したが、Jリーグ側が「ドーピングの国際基準、最高基準の判定を受けるため」とスイスに本部を置くスポーツ仲裁裁判所(CAS)での仲裁のみ受け入れる方針を発表。小林の問題ではJSAAに申し立てた調停が不調に終わり、実業団側が仲裁にも応じず、最終的に所属先の豊田自動織機は登録を認めない実業団側の見解を受け入れた。振り上げたこぶしの落としどころがなく、法廷闘争に発展した場合への問題の長期化を避けた形だ。
 ▽自動受諾/26/・5%
 JSAAは競泳のシドニー五輪代表を漏れた千葉すず選手のCAS提訴で国内機関の必要性が高まり、2003年4月に発足した。だがこれまで仲裁件数は馬術やセーリングなど7件にとどまっている。本来なら今回のような二つの事例など紛争解決の場として存在意義を示せるのが理想であり、もっとスポーツ界への法的環境の整備や浸透を働き掛ける必要があるだろう。現状では選手が仲裁による紛争解決を望んだ場合、競技団体が自動的に仲裁に応じる「仲裁自動受諾条項」を採択しているのは対象となる161団体中/43/団体でまだ/26/・5%に過ぎない。JSAAの道垣内正人機構長は「スポーツ界の透明性を高めるためにもこの数字が百パーセントにならないと駄目」と語るが、陸上やサッカーも採択には応じていない。
 「中東の笛」を発端としたハンドボールの北京五輪アジア予選やり直し問題で、CASは男子のやり直し予選を有効と認め、女子の再予選を無効とする異例の仲裁結果を発表した。アジア連盟から提訴された国際連盟は弁護士報酬で5000万円も負担したそうだ。
 ▽堂々と権利主張を
 選手選考、薬物使用、競技中の事故…。CASは/84/年の発足当初、仲裁申し立ての件数も少なかったが、時代とともに莫大な費用を度外視して仲裁件数が急増してきた。もともと紛争を好まない日本の風土で「国内版CAS」への申し立ては今後どう推移していくのか。選手やコーチが自己の権利を主張し、公正さについて疑問を堂々と表明することはスポーツ界の活性化を促す大きな意義がある。パリの聖火リレーで五輪柔道金メダリスト、ドイエさんが「より良い世界を」と記したバッジを着用し、政府要人と肩を並べて重みのあるメッセージを伝えていた。日本の五輪スポーツも事実上のプロが増えた今、権利意識を高めた選手らが公正な扉を通じ、もっと自由闊達に主張を申し立てられる環境を築くことが求められるだろう。