バスケットボール女子WJBL

2014-10-7

強い気持ちと努力が 運をひきよせる

 JTLが主催する「ボールであそぼう!」のマイスターとして、ボールゲームフェスタや指導者養成講習会でおなじみの岩屋睦子(いわやちかこ)さん。岩屋さんは現役時代、シャンソン化粧品のポイントガードとして10連覇に大きく貢献し、日本代表としても、20年ぶりの出場であったアトランタオリンピックで7位入賞の原動力となりました。引退後はご結婚され、現在は一児の母として、主に子供たちを対象にボール競技に興味を持たせ、身体を動かす楽しさを伝える指導を続けていらっしゃいます。

 今回は、岩屋さんにバスケットボールとの出会いから今に至る日々を振り返って頂きました。

現役時代に目指したもの、そして、強い運をひきよせることができた理由は何だったのでしょうか。

岩屋さんの歩んで来た道は、現役の選手である皆さんの現在であり未来でもあります。一緒に辿ってみましょう。

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★ バスケットボールとの出会い

 小学校4年生の時、常滑市でミニバスケット(以下ミニバス)教室が始まり、友達と一緒に「どんなものかな」と行ってみたのがそもそものきっかけです。チームは強くなかったけれど、指導して下さる先生方がみんな面白くて楽しかったです。

 バスケの虜になり中学に行っても、バスケ部に入ると決めていました。中学に入ると楽しいだけではなく勝ちたいという気持ちも次第に芽生えてきました。その思いで毎日練習に励み、3年生の時には県大会まで勝ち進むことができました。指導して下さった先生もバスケ経験者だったこともあり指導も上手かったですし、チームメイトにも恵まれたと思っています。

 小学生の頃はどんな運動も無難にこなす子でしたが、何よりも負けず嫌いでしたね。私は3人姉妹ですが、当時、年子の妹とはけんかばかり(笑)。でも私の影響で年子の妹は私と同じ星城高校に進みましたし、末の妹もバスケットボールを高校までやっていました。両親は特に趣味でスポーツをやる程度でしたが、父は子供好きで地元のスポーツ少年団(ソフトボール)の指導者や子供会の役員もしていました。ちなみに私も妹もそのスポーツ少年団に入っていたのでバスケだけでなくソフトボールも行っていました。守りはショート、ピッチャーをやっていました!

★ お父さんが大反対?

 中学校の時、県大会に強豪校の先生が観に来ていて、声をかけていただいたことでこの道が開けたわけですが、父には星城高校に進むことを大反対されました。地元の普通校に行け、と。女の子だし寮生活になるし、色々心配だったのでしょう。最後まで「いいぞ」と言ってくれず話もしませんでしたね。そんな時に母が「自分の人生だから後で後悔するよりも、やりたいことがあるならやったほうがいい。」と言ってくれて、この言葉に私は背中を押してもらいました。その後、同級生のお父さんや母が父を説得してくれて、私は星城高校に進学しました。私が高校で大会に出るようになると反対していた父もだんだん応援してくれるようになり、遠くである試合にも観に来てくれました。嬉しかったです。

★ 日本一を目指して

 

  第18回選抜優勝大会で星城高校は準優勝し、その時にシャンソン化粧品の中川文一監督から誘いを受けました。それまで私は1位になったことが1度もありませんでした。愛知県には名短附(現在の桜花学園高)という全国大会常連客で何連覇もしているチームがいたので、そこに勝てずいつも2位ばかり。大学進学という選択肢もありましたが、実業団のがレベルが高く本当の意味で日本一になりたかったのでシャンソン化粧品を選びました。

 実は監督は他のポイントガードに目をつけていたみたいです。でもうちの高校が勝ち上がって、私のスピードやキレを評価してくれたようです。中川監督は厳しい人でしたが、私が入った時期は世代交代の時期でシャンソン化粧品は3年ほど優勝できずにいました。だから若手が頑張らなきゃいけないチームでしたし、監督も私たちのことを信じて試合で使ってくれました。

 1年目は勝てませんでしたが、2年目に優勝し、ついに日本一になることができました。本当に嬉しかったですね。

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★ オリンピック出場決定!

 オリンピックについて言えば、オリンピックは私にとって夢のまた夢という感じでした。とにかく目の前のことに必死でしたから。目の前のことをクリアしたらまた次という感じでした。

でも、当時アジア枠は一つでしたが、アトランタオリンピックの2年前の世界選手権で中国が2位になったことでアジア枠が一つ増え、さらに、開催国だったアメリカの枠が、ヨーロッパに行かずアジアに来て、3チームが出られるようにアトランタオリンピックの時にはなりました。オリンピックが急に現実味を帯びて来たのです。自分も目の前のことをコツコツやって近づこうとしていましたが、オリンピックの方が近づいてきてくれた、そんな感じでした。ほんとに運がよかったと思います。

 アジア予選では3位決定戦に回り、台湾との勝負となりました。予選では余裕で勝っていたので大丈夫と思っていましたが、これがオリンピックへの道なのか、最後までわからない大接戦となりました。残り数秒こちらが勝っていましたが台湾のフリースロー。2本とも決められたら逆転されます。ところが作戦タイムを台湾が取り、間があってからのフリースローでした。台湾の選手の顔が変わっていて2本とも外してくれました。その後フリースローを日本がもらい2本とも決めて、晴れてオリンピック出場を決めました。

本当に勝負というのは一瞬の気持ちの持ちようでこうも変わるのかと思った瞬間でしたが、この試合は静岡であり会場に足を運んでくださった方の応援や日本バスケ界の皆さんの思い・声援が最後勝たせてくれたのかなと今でも皆さんに感謝しています。皆さんの思い、自分たちの思いが運を呼び寄せたような気がしました。。

 私の人生、本当に運がよかったと思います。その時はこうなりたい、と思って必死でしたが、後になって考えると、年齢的にもコンディションもベストな時にアトランタオリンピックがあり、メンバーにも恵まれました。よくぞこの時代に生まれてバスケをやってくれていたなって。何かの拍子で誰かしらが他の競技をやっていたら、あのメンバーは集まっていませんからね。めぐりあわせってすごいことだなと思うことが良くあります。

★ アトランタの魔物?

 オリンピックの初戦はみんな浮き足立ってしまって、試合になりませんでした。体がフワフワしている感じで雰囲気に呑み込まれるとはこういうことかと。やっぱり魔物はいました。初戦は何もできずに終わってしまい・・・。だから、このままではいけないとみんなで話し合って、勝ち負けよりもやってきたことを出そう、原点に戻ろうと話し合いました。そうしたら2戦目、なかなか勝てなかった中国に勝てたのです。それで波に乗り、カナダとの延長戦を制して決勝トーナメントに残ることができ、夢にまで見たアメリカと45000人の観客を前に戦いました。本場アメリカということもあり応援も盛り上がり素晴らしかったです。結局アメリカには勝てませんでしたが、予選で負けるのと決勝トーナメントに残るのとでは全く違い、決勝トーナメントに上がったことで開会式から閉会式までずっといることができました。だから、最初から最後までオリンピックを満喫して帰ってくることができたので、最高の思い出です。もっと上をと思う方もいるかもしれませんが、ボール競技で当時7位入賞できたことは本当に価値あることだったと思っています。

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★ 引退 結婚 そして子育て

 シドニーオリンピック出場を決めるアジア予選で負けた時、もうすべてやりきった感じがありました。ですから迷うことなく1999年に引退しました。プライベートとの両立が難しい時代で、それも納得の上ということでバスケットボール一筋でやってきましたが、結婚して子供を育てて、という女性としての幸せにも憧れていました。

 引退後は、一度実家に戻りましたが結婚してくれる相手も見つかったので1年後結婚し、子供もできました。

 娘はいま中学生で、陸上をやっています。今はバスケットボールにも少しは興味を示していますが、小学校3年生の時にバスケットボールをやろうとうるさいくらいに私に言われたのが、イヤだったみたいです。自分の子供は思い通りになりませんね。でも、本人がやりたいと思ったことが一番なので、本人がこれだと思ったことは応援したいです。

★ 指導者として

 子育てに手が空き始めた頃から、WJBLからもお話を頂き、バスケットボールクリニックをするようになりました。

同時にJTLの「ボールであそぼう!」の立ち上げの際に、DVD撮影のメンバーに入れていただいたこともあり、マイスター1号として実技の方をお手伝いすることとなりました。ボールゲームフェスタの親子参加であったり、各地での指導者講習会もさせていただいています。

 あと、名刺に「ボールであそぼう!マイスター1号」と書かせていただいているのですが、川崎市麻生区のスポーツセンターにバスケクリニックでお邪魔した際に、それを見て、是非「ボールで遊ぼう」をやってみないかとおっしゃって下さいました。それがきっかけで、昨年2月から幼児と小学生の教室を週に一回ずつやらせていただいています。子どもに振り回されながらも手探りですが、JTLのマイスター講習会で学んだことも参考に、修正を加えながら、子供たちが楽しめるようなメニューを行っています。子どもたちに勉強させてもらっている感じですね。みんなが楽しい楽しいと言ってくれるような教室にしていきたいと思っています。

 

★ 後輩へ伝えたいこと

 現役選手たちに言いたいのは「一日一日を後悔しないように」ということでしょうか。かつて私が母に背中を押されたように「悔いのある人生は取り返しがつかないし、毎日を必死になってやっていれば必ず結果はついてくる」ということ。もちろん、結果が出ないこともあるけれど、それを信じないとやっていけません。目の前のことを必死にやっていれば、必ず自分の世界は広がって行きます。

 スランプの時はこれ以上悪くならないと自分に言い聞かせること。気持ちの持ちようで、一つ何かが成功すると少しずつ変わって行くものです。

あと、私がシャンソン化粧品でキャプテンをしていた頃、全日本で負けてしまって、「自分で何とかしなきゃ」と強がり、言いたいことも言えずに自分に閉じこもってしまったことがありました。その時、一年上の先輩が「そんなにしょいこまなくていいよ、私たちも手伝うから」と言ってくれとことがあります。すごくありがたかったですね。私もそんな先輩になりたいと思いましたし、何でも話せる仲間を作る大切さも知りました。その時から、自分が変わりました。どのチームも技術にはほとんど差はありません。ちょっとの差で勝ち負けが決まります。それはメンタル、気持ちの持ち方だと思います。  (完)

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★ 岩屋睦子さん プロフィール

愛知県生まれ

星城高等学校(愛知県)卒業後シャンソン化粧品入社。

1996年アトランタオリンピック出場 1999年アジア選手権(静岡)後、現役引退。

・日本リーグ(現 Wリーグ) 優勝 9回 MVP 3回,新人王,ベスト5を7回

・全日本総合選手権(オールジャパン) 優勝 5回

・1996年アトランタオリンピック 7位 ※20年ぶりの出場

シャンソン化粧品のポイントガードとして、前人未到の10連覇に大きく貢献、

バス ケットボール日本代表としても20年ぶりに出場したアトランタオリンピックで

7位入 賞の原動力となった。 現役時代は、小柄ながらスピードのあるドリブルと

クレバーなゲームコントロール でチームを引っ張った。 引退後に結婚、

テレビのコメンテーターやバスケットボールクリニックの講師として 活躍している。

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