次世代に伝えるスポーツ物語

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  1. 2015-8-7

    コラム

    昭和17年夏、「幻の甲子園」

     「俺も甲子園に出たことがあるんだぞ」―。古豪・水戸商が実に34年ぶりとなる甲子園出場を決めた平成6年夏、大柄の体に人懐っこい笑みをたたえた石井藤吉郎はこう言って、久方ぶりに代表校となった母校への喜びを表した。水戸商から早大に進学後、すぐに応召。敗戦後、シベリア抑留を経て復学し、早大を優勝へと導き、社会人野球や指導者としても活躍した石井。プロ野球界に進んだ教え子たちから「オヤジ」と慕われ、野球殿堂...

  2. 2015-3-4

    コラム

    柔道・中谷雄英

     いまとは比較にならないほどの重圧だった。1964年東京五輪に臨んだ柔道代表に背負わされたのは「必勝」。そうした空気を選手も意気に感じていた。軽量級に出場した中谷雄英は「(選手も)五輪に出れば勝てるという思いはあった。海外勢よりも国内の代表争いの方が厳しかったですから。日の丸を背負うのは誇らしかった」と振り返る。柔道への並々ならぬ期待は、東京五輪が日本発祥の武道が、五輪の正式競技に採用された大会だ...

  3. 2014-11-18

    コラム

    サッカー・杉山隆一

     「アルゼンチン戦の得点は、半世紀がたったいまでも鮮明に覚えています。左から中央に切れ込み、相手のペナルティーエリア左角付近で右足を振り抜きました。練習で繰り返していた得意の形だったので、うれしかったね」  50年前の1964年東京五輪をこう振り返るのは当時のサッカー日本代表、杉山隆一。アルゼンチン戦は駒沢競技場で行われた日本の初戦。そして鮮明に覚えているという得点は同点ゴールとなる日本の1点...

  4. 2014-9-15

    コラム

    スキー・三浦雄一郎

    2011年9月15日  人間、何歳まで健康でいられるんだろうか。そんな漠然とした問いに常にひとつの指標を与えてくれるのが、三浦雄一郎である...

  5. 2014-5-19

    コラム

    柔道・岡野功 

     事実上の決勝戦と見られていたのが準決勝の金義泰(韓国)戦だった。1964年東京五輪。この大会から正式競技となった柔道の中量級(80キロ以下)には20選手が参加した。岡野は準々決勝まで危なげなく一本勝ちを続け、そして迎えた準決勝。右の組み手をしっかり取ると、連続で得意の背負い投げを繰り出す。序盤から攻めに攻めたが、4月に痛めた右膝負傷の影響もあってか、決めきれず、判定にもつれ込んだ。それでも終始攻...

  6. 2014-4-24

    コラム

    水泳・ベルリン五輪競泳男子800メートルリレー

    2014年4月24日  エース萩野公介(東洋大)の台頭をきっかけに、競泳男子自由形を重点強化中の日本。中でも800㍍リレーはその国の自由形...

  7. 2014-4-10

    コラム

    アーチェリー・道永宏

    2014年4月10日  何が起こるか分からないのが五輪。とはいってもアーチェリーでメダル獲得を予想した者など当時はいなかったに違いない。1976年モントリオール五輪でのことだ...

  8. 2014-4-3

    コラム

    陸上・渡辺康幸

    2014年4月3日  まさに〝スーパーエース〟と呼ぶにふさわしい活躍だった。箱根駅伝では、いきなり大学1年から花の2区に抜擢され、総合優勝に貢献。2年は1区で区間新(1時間1...

  9. 2014-3-27

    コラム

    車いすバスケットボール・京谷和幸

    2014年3月27日  かつて将来を嘱望されたサッカー選手がいた。京谷和幸。高校時代、全日本ユース代表に選出されたミッドフィルダーだ。悲劇は1993年11月、ジェフ市原でプロ...

  10. 2014-3-20

    コラム

    大相撲・高見盛

    2014年3月20日  歓声が降り注ぎ、座布団が乱れ飛んだ。勝ち名乗りを受ける時には叫んでいた。  「勝ったのか、俺。勝ったんだ」...